迷信に囚《とら》われて、スッカリ震え上がらせられてしまった。乗組員の眼付《めつき》は皆《みんな》オドオドと震えていた。
 ……船が動かない……S・O・S小僧の祟《たた》りだ……。
 晴れ渡った青い青い空、澄み渡った太陽。静かな、切れるような冷《つ》めたい風の中で、碧玉《へきぎょく》のような大濤《おおなみ》に揺られながらの海難……。
 ……行けども行けども涯《は》てしのない海難……S・O・Sの無電を打つ理由もない海難……理由のわからない……前代未聞の海難……。
「サアサア。みんな文句云うところアねえ、在りったけの石炭《すみ》を悉皆《みんな》、汽鑵《かま》にブチ込むんだ。それで足りなけあ船底《ダンブロ》の木綿の巻荷《ロール》をブチ込むんだ。それでも足りなけあ俺から先に汽鑵《かま》の中へ匍《は》い込むんだ。ハハハ。サアサア。みんな石炭《すみ》運びだ石炭《すみ》運びだ……」
 事実石炭は最早《もう》、残りがイクラも無かったのだ。横浜《はま》で積込《つみこ》んだ時の苦労を逆に繰返して、飛んでもない遠方から掘り出すようにしいしい、機関室へ拾い集めるのであったが、その作業を初めると間もなく、残炭《のこり》を下検分《したみ》に廻わった二等機関士のチャプリン髭《ひげ》が、俺の部屋へ転がり込んで来た。
「……タ……大変です。S・O・Sの死骸が見つかりました」
「ナニ。S・O・S……伊那の死骸がか……」
「エエ。そうなんです……ああ驚いた。ちょっとその水を一パイ。ああたまらねえ」
「サア飲め。意気地無し。どこに在ったんだ」
「ああ驚いちゃった。料理部屋の背面《うしろ》なんです。あすこの石炭《すみ》の山の上にエムプレス・チャイナの青い金モール服を着たまんま半腐りの骸骨になって寝ていたんです。イガ栗頭の恰好《かっこう》があいつに違いないんですが」
「骸骨……?……」
「ええ。あそこは鉄管《パイプ》がゴチャゴチャしていてステキに暑いもんですから腐りが早かったんでしょう。白い歯を一パイに剥《む》き出してね。蛆《うじ》一匹居なかったんですが……随分臭かったんですよ」
 俺は黙って鉄梯子《てつばしご》を昇って、中甲板《ちゅうかんぱん》の水夫部屋に来た。入口に掴《つか》まって仁王立《におうだ》ちになったまま大声で怒鳴った。
「おおい。兼公《かねこう》居るかア。出歯《でっぱ》の兼公……生首《なまくび》の
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