。現に水夫の中でも兄い分の「向《むこ》う疵《きず》の兼《かね》」がわざわざ鉄|梯子《ばしご》を降りて、俺に談判を捻《ね》じ込んで来た位だ。
「向う疵の兼」というのは恐ろしい出歯《でば》だから一名「出歯兼《でばかね》」ともいう。クリクリ坊主の額《おでこ》が脳天から二つに割れて、又|喰付《くいつ》き合った創痕《きずあと》が、眉《まゆ》の間へグッと切れ込んでいるんだ。そいつが出刃包丁《でばぼうちょう》を啣《くわ》えた女の生首《なまくび》の刺青《ほりもの》の上に、俺達の太股《もも》ぐらいある真黒な腕を組んで、俺の寝台《ねだい》にドッカリと腰を卸《おろ》して出《で》ッ歯《ぱ》をグッと剥《む》き出したもんだ。
「チョットお邪魔アしますが親方ア。今、船長《おやじ》の処《とこ》へ行って来たんでがしょう。親方ア」
「ウン。行って来たよ。それがどうしたい」
「すみませんが船長《おやじ》があの小僧の事を何と云ってたか聞かしておくんなさい。……わっしゃ親方が船長に何とか云ったらしいんで、水夫《デッキ》連中の代表になって、船長《おやじ》の云い草を聞かしてもらいに来たんですが」
「アハハハ。それあ御苦労だが、何とも云わなかったよ」
「お前さん何にも船長《おやじ》に云わなかったんけエ」
「ウン。ちょっと云うには云ったがね。何も返事をしなかったんだ。船長《おやじ》は……」
「ヘエー。何も返事をしねえ」
「ウン。いつもああなんだからな船長《おやじ》は……」
「あの小僧を大事《でえじ》にしてくれとも何とも……親方に頼まなかったんけえ」
「馬鹿。頼まれたって引受けるもんか」
「エムプレス・チャイナへ面当《つらあ》てにした事でもねえんだな」
「むろんないよ。船長《おやじ》はあの小僧を、皆《みんな》が寄って集《たか》って怖がるのが、気に入らないらしいんだ」
「よしッ。わかったッ。そんで船長《おやじ》の了簡《りょうけん》がわかったッ」
「馬鹿な。何を云うんだ。船長《おやじ》だって何もお前達の気持を踏み付けて、あの小僧を可愛がろうってえ了簡じゃないよ。今にわかるよ」
「インニャ。何も船長《おやじ》を悪く云うんじゃねえんでがす。此船《うち》の船長《おやじ》と来た日にゃ海の上の神様なんで、万に一つも間違いがあろうたあ思わねえんでがすが、癪《しゃく》に障《さわ》るのはあの小僧でがす。……手前の不吉《いや》な前科《こう
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