小さな丸薬だ。それを飲めばどんなテンカンでもすぐになおる。嘘だと思うなら嘗《な》めて見ろ」
お爺さんはすぐに舌を出して、自分の掌《てのひら》をペロリと嘗めて舌なめずりをしましたが、
「フーン。これは不思議だ。大層いいにおいがしますな。何だか腹の中まで涼しくなるような……」
と眼をキョロキョロさせました。
「それで貴様のテンカンは治ったのだ。そのお礼に貴様は今から町へお使いに行って来い。それはおれども三人の着物を買いにゆくのだ。おれはちょうど貴様と同じ位の身体《からだ》だからお前の身体《からだ》に合う上等の着物と、それから五尺五寸の女の着物と、五尺八寸の男の着物と買って来い。お金はここにある」
と、鞄の中から金貨を一掴み出してやりました。
お爺さんはその金を受け取らずに手を振って申しました。
「いけませんいけません。私の病気はビックリテンカンというので、何でもビックリすると眼がまわって引っくり返るのです。ですから、こんな淋しいところの一軒家に居るのです。とても賑《にぎ》やかな、ビックリすることばかりある町へはゆかれませんから、こればかりは勘弁《かんべん》して下さい」
と申しました。
「この馬鹿野郎」
と無茶先生は怒鳴りつけました。
「その病気はもう治ったのじゃないか。嘘かほんとか試しに行って見ろ。もし町へ出て眼がまわるようだったら、着物を買わずに帰って来い。その金はおれの薬の利かない罰に貴様に遣るから」
「えっ、こんなに沢山のお金を?」
「そうだ。その代り、何ともなかったら、着物を買って来ないと承知しないぞ」
「それはもうきっと買って来ます。それじゃためしに行って来ましょう」
と、お爺さんは大急ぎで支度をして出て行きました。
お爺さんがもう大分行ったと思うと、無茶先生はその家の表へ出て崖の上を見ながら、
「オーイ。降りて来――イ」
と呼びました。
「ハーイ」
と豚吉とヒョロ子が返事をしますと、やがて二人とも降りて来ましたが、久し振り人間の住む家を見ましたので、二人ともキョロキョロしておりました。
一方に、お使いに出たお爺さんは、二三町行った時うしろの方から誰か大きな声で呼ぶ声がしましたので、立ち止まって見ておりますと、やがて家のうしろの崖の上から恐ろしく背の高い女と背の低い男が、しかも丸裸で降りて来て自分の家に這入りましたので、お爺さんの胸は急にドキドキし初めました。そうして、これは何でも不思議なことが初まるに違いないと思いまして、ソッと引返して裏の方へまわって、そこにあった梯子を伝って屋根裏から天井へ這入って、家の中の様子をのぞきました。
鍛冶屋の爺さんが天井の節穴から覗いているとは知らずに、無茶先生は久し振り人間の住む家に這入ってキョロキョロしている豚吉とヒョロ子のうしろから鍛冶屋の鉄槌で頭を一つ宛《ずつ》なぐり付けますと、豚吉とヒョロ子はグーとも云わずに土の上にたおれてしまいました。
鍛冶屋の爺さんは驚きました。
「ヤア。これは大変だ。あの山男は人殺しだ」
と思わず声を立てるところでしたが、やっと我慢をしました。
「それにしてもあの殺された人間は何という不思議な姿であろう。男の方は横の丸さが当り前の人間の倍もあるのに、背丈けは半分しかない。又、女の方はヒョロヒョロ長くて、まるで竹棹《たけざお》のようだ。何という不思議なことであろう。あの山男はあの二人を殺して喰うのか知らん」
と、一生懸命息を詰めて見ておりました。
無茶先生はそれから鍛冶屋にありたけの鉄を集めて真赤に焼いて、たたき固めて、一つの大きなヤットコと鉄の箱を作りました。
それから鍛冶屋にありたけの炭を集めて、ドンドン炉の中にブチ込んで、一生懸命|※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《ふいご》で火を吹き起しますと、その火の光りで家中が真赤になりました。
「オヤオヤ。家が焼けなければいいが」
と心配しいしい見ておりますと、無茶先生は鉄の箱をその上にかけて、水を一パイ汲んで、豚吉とヒョロ子をその中に投げ入れて、あとから真っ黒な薬を一掴み入れて煮初めました。
「サテ、煮て喰うのかな」
と思いながらお爺さんが見ておりますと、豚吉とヒョロ子は中の湯が煮立つにつれて真黒になって、まるで鉄のようになってしまいました。
それを大きなヤットコで挟み出して、鉄の箱の中の水を汲み出して外へ棄てて、鉄の箱も外へ出しますと、又も炭をドシドシ炉の中に入れて前よりも一層|非道《ひど》く燃やしましたが、やがてその炭の火が眼も眩《くら》む程まっ赤におこると、無茶先生はさっきこしらえた大きなヤットコを取り出し、先ず豚吉を挟んで火の中へ、
「ドッコイショ」
と突込みました。
「ヤア大変だ。この山男は人間を焼いて喰う化け物だ。人間の丸焼きだ丸焼だ」
と、鍛冶屋のお爺さんはふるえ上って見ておりました。
ところが豚吉は焼けも焦げもしません。だんだん赤くなって、しまいには当り前の鉄と同じように美しい火花がパチパチと飛び出す位柔らかに焼けて来ました。
それを無茶先生はヤットコで引き出して、大きな鉄敷の上に乗せて、片手に大きな鉄槌をふり上げて、
「スッテンスッテンスッテン」
とたたきましたので、豚吉の身体《からだ》はだんだん長く延びて来て、当り前の長さになりました。
それから又火に突込んで、焼いて柔らかくしては、又引き出してたたきます。そのうちに豚吉の眼も鼻も口も、身体《からだ》や手足の恰好も、すっかり無茶先生の鉄槌でたたき直されて、ホントに立派な、絵のような美しい人間の姿になりました。
「イヤア。これは不思議だ。あの山男は魔法使いだ。けれども、あんなに鉄のようになった人間をあの山男はどうするのだろう。もとの通りに生かすことが出来るのか知らん」
と鍛冶屋の爺さんは独言《ひとりごと》を云いました。
無茶先生は豚吉の身体《からだ》をたたき直しますと、そのまんま火の中へ入れて、今度はヒョロ子を引きずり出して、鉄敷の上に乗せて、二つにタタき屈《ま》げましたので、ちょうど当り前の人間の長さになりました。それを焼いてはたたき、たたいては焼いて、頭も尻も無い一つの大きな鉄の玉にしましたので、天井裏からのぞいていた鍛冶屋の爺さんは又肝を潰しました。
「ヤアヤア。あんな丸いものになった。人間の鉄の玉が出来上った。あの山男はあんなまん丸いものをもとの通りに生かすつもりか知らん」
と、なおも眼をこすって見ていますと、無茶先生は又も鉄槌を振り上げてその鉄の玉をたたいているうちに、丸い鉄のまん中から頭をたたき出しました。その次には、その頭の左右から両手をたたき出しました。そうしてその下に胴を作り、足を作ってしまいますと、今度は髪毛をたたき出し、眼鼻を刻みつけ、耳から手足の指から爪まで作りつけて、まるで女神のように美しい女としてしまいました。そうしてそれが済むと、豚吉と一所に並べて火の中に突込んで、その上から残った炭を山のように積み上げて、ブウブウ※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《ふいご》を動かし初めました。
初め赤く焼けていた豚吉とヒョロ子は、だんだん白い光りを放つように焼けて、身体《からだ》中から火花が眼も眩むほど飛び散り初めました。その時に無茶先生は両手でヤットコを握って、初めに豚吉を、その次にヒョロ子を引きずり出して、前を流れている川の中へドブンドブンと投げ込みました。
鍛冶屋のお爺さんはこれを見ると、慌てて天井を出て、裏の物置の屋根から裏庭へ飛び降りて、大急ぎで川のふちへ来ました。
見ると、豚吉とヒョロ子が沈んだ川の水の底からはグルングルングルグルグルと噴水のように湯気や泡が湧き出して、水の上に吹き上っておりましたが、やがてだんだんとその泡が小さくなって消えてしまいまして、青い水の上にポッカリと白い豚吉の身体《からだ》が浮き上りました。見ると、それは当り前の人間とちっともかわりがないどころでなく、昔の豚吉とはまるで違った立派な姿になっているのでした。
「これは不思議」
と鍛冶屋のお爺さんが思う間もなく、今度はヒョロ子の身体《からだ》が青い水の上に浮上りましたが、これも今までとはまるで違った美しい別嬪《べっぴん》さんになっております。
「不思議不思議」
と、鍛冶屋の爺さんは手をたたいて申しました。
これをきいた無茶先生がヒョイとその方を見ますと、鍛冶屋の爺さんが立っていますので、無茶先生はビックリしまして、
「ヤア。貴様はもうお使いに行って来たのか。何という早い足だ。もしや今おれがしていたことを見はしまいな」
鍛冶屋の爺さんは見る見る真青になってふるえ上りまして、そこへ座ってしまいました。
「どうぞお許し下さいまし。魔法使いの山男様。私はすっかり見ていました。ああ恐ろしや、肝潰しや。又テンカンが起りそうだ。どうぞ生命《いのち》ばかりはお助けお助け」
と手を合せて拝みながら、頭を往来の土の上にすりつけました。
無茶先生はこれをきくと、大きな眼玉を剥《む》いて鍛冶屋の爺さんを睨みつけましたが、
「よしよし、見たら仕方がない。その代り今見たことを一口でも人に話すと、それだけビックリしても起らなくなったテンカンがまた起るようになるぞ。決して人に話すことはならぬぞ」
と叱りつけますと、お爺さんは大喜びです。
「エエ、エエ。それはもう決して人に話しません。どうぞお助けお助け」
と、また拝みました。
「よしよし。助けてやるから、あの二人の身体《からだ》を水から上げろ。それから貴様の家《うち》へ連れ込んで、すっかり拭き上げて、貴様の布団を着せて寝かせ」
「ヘイヘイ。かしこまりました」
お爺さんは大勢いで二人を水から引き上げて、無茶先生の云いつけ通り家《うち》の中に担ぎ込んで、二人を寝かしました。
「コレコレ。それでは貴様は今から町へ行って、さっき頼んだ買物をして来い。それから腹が減ったから、喰い物とお酒を買って来い」
「ヘイヘイ。そして、その召し上りものはどんなものがよろしゅう御座りましょうか」
「それは葱《ねぎ》を百本、玉葱を百個、大根を百本、薩摩芋《さつまいも》を百斤、それから豚と牛とを十匹、七面鳥と鶏《にわとり》を十羽ずつ買って来い」
「えっ。それをあなたが一人で召し上るのですか」
「馬鹿野郎、そんなに一人で喰えるものか。葱は白いヒゲだけ、玉葱は皮だけ、大根は首だけ、薩摩芋は頭と尻だけ、豚は尻尾だけ、牛は舌だけ、七面鳥は足だけ、鶏は鳥冠《とさか》だけ喰うのだ。それからお酒は一斗買って来い。ホラ、お金を遣る」
「ヘイヘイ」
「それからも一度云っておくが、どんなことがあっても貴様が見たことをシャベルなよ。魔法使いだといって兵隊や巡査でも来るとうるさいから。そればかりでない。貴様のテンカンもまた昔の通りになるのだぞ」
「ヘイヘイ、決して申しませぬ。それでは行って参ります」
と、鍛冶屋のお爺さんは車力《しゃりき》を引いて町へ出かけました。
ところが、この鍛冶屋のお爺さんはまた困ったお爺さんで、何でも自分の見たことやきいたことを人に話したくて話したくてたまらない性質《たち》でした。
「これは困ったことになった。うっかりしゃべったら、おれの病気がもとの通りになるばかりでなく、あの山男を捕えに兵隊や巡査なんぞが来たら、おれの家《うち》はブチ壊されてしまうかも知れない。けれどもまた、あんな不思議な珍らしいことを見ておりながら、人に話すことが出来ないとは何という情ないことになったものだろう。ああ、困った困った」
と、独言《ひとりごと》を云い云い行くうちに、やっとのことで町に来ました。
さて、町に来て見ますと、その賑やかなこと、立派なこと。ビックリすることばかりです。けれどもお爺さんは驚きません。
「もうテンカンは治っているから大丈夫だ。それに、この町中の人が見たことのない不思議なものをおれは見ているんだぞ。おれは大変なことを知っているんだぞ。それを話したら、みんな驚いてテンカンを引くだろう。けれどもおれは話さないのだ。ドレ、
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