人の塩漬けの樽と鞄を結びつけた棒を担《かつ》ぎ上げて、まだお酒の残っている樽を右手に持ちながら梯子段を降り初めました。
「ヤアヤア。こいつは途方もなく重たいぞ。ああ、苦しい。屁が出そうだ屁が出そうだ。オットドッコイ。あぶないあぶない。屁の用心。屁の用心」
 と云いながら、大威張りで降りて表へ出て行きましたが、兵隊たちはみんな耳へ指を詰めて眼をとじて、一生懸命小さくなっていましたので、誰も捕まえようとするものがありません。
 そのうちに無茶先生は表へ出ますと、大きな声で、
「アア。やっとこれで安心した。ドレ、ここで一発放そうか」
 と云ううちに、大きなオナラを一つブーッとやりました。
 無茶先生のオナラをきいた兵隊たちは、
「大変だっ」
 と耳を詰めましたが、あとは何の音もきこえません。
 さてはほんとに耳が潰れたかと思っていますと、そのうちに、
「コケッコーコーオ」
 と一番鶏の声がきこえました。
「オヤオヤ。一番鶏の声がきこえるくらいなら耳は潰れていないのだな。そんならあの屁は只の屁で、きいても耳は潰れないのだな。サテはおれたちは欺されたな」
 と、一人の兵隊が眼を開いて見ますと、室《へや》の中にともっているあかりがよく見えます。
「ヤッ、眼があいた眼があいた。オイ、みんな眼をあけろ眼をあけろ。何でも見えるぞ……きこえるぞ」
 と怒鳴りましたので、兵隊達は一時に起き上りました。そこへ大将も起きて来て、
「サア、魔法使いのあとを追っかけろ」
 といいましたので、兵隊たちは勢い付いて八方に駈け出して無茶先生を探しましたが、まだあたりがまっ暗《くら》で、どこへ行ったかわかりませんでした。
 無茶先生は、その時町を出てだいぶあるいていましたが、右手に持ったお酒の樽へ口をつけてグーグー飲みながら、
「ウーイ。美味《おいし》い美味い。酔った酔った。エー、豚の塩漬けは入りませんか。ヒョロの塩漬けは入りませんかア。アッハッハッハッ。面白い面白い。エー、豚とヒョロの塩漬けやアーイ」
 と怒鳴りながら、あっちへよろよろ、こっちへよろよろとしてゆきます。
「アー、誰も買いませんか。豚とヒョロの塩漬けだ。安い安い。百|斤《きん》が一銭だ一銭だ。アッハッハッハッ。面白い面白い。樽の中で手は手、足は足に別々になって寝ているんだ。眼がさめたら困るだろう。アハハハハ。誰か買わないか、豚とヒョロの無茶苦茶漬けやアイ」
 とあるいているうちにだんだんと夜があけますと、いつの間にか道が間違って大変な山奥に来ています。
「イヤア、こいつは驚いた。酔っているものだから飛んでもないところへ来てしまった。これじゃ、いくら怒鳴ったって誰も買い手が無い筈だ。ああ、馬鹿馬鹿しい。ああ、くたぶれた。第一こんなに重くちゃ、これから担いでゆくのが大変だ。一つ生き上らして、自分で歩かしてやろう」
 といいながら、無茶先生は二人を塩漬けにした樽を担いで、谷川の処へ降りて来ました。
 無茶先生は山奥の谷川の処まで来ますと、お酒の樽の蓋をあけて、中から豚吉とヒョロ子の手や足や首や胴を取り出して、谷川の奇麗な水でよく洗いました。
 それから鞄をあけて一つの膏薬《こうやく》の瓶を出して、切り口へ塗って、豚吉は豚吉、ヒョロ子はヒョロ子と、間違えないようにくっつけ合わせて、そこいらにあった藤蔓《ふじづる》で縛ってしばらく寝かしておきますと、やがて二人ともグーグーといびきをかき初めました。
 その時に無茶先生は、谷川のふちに生えていた細い草の葉を取って、二人の鼻の穴へソッと突込みますと、二人共一時に、
「ハックションハックション」
 と嚔をしながら眼をさまして、起き上りました。
「ヤア。お早う」
 と無茶先生が声をかけますと、二人とも眼をこすりながら、
「お早う御座いますお早う御座います」
 とお辞儀をしましたが、又それと一所に二人とも飛び上って、
「アア、大変だ。咽喉《のど》がかわく咽喉がかわく。ああ、たまらない。腹の中じゅう塩だらけになったようだ」
「私も口の中が焼けるようよ。ああ、たまらない」
 といううちに、二人とも谷川の処へ駈け寄って、ガブガブガブガブと水を飲み初めました。
「アハハハハハ」
 と無茶先生は笑いました。
「咽喉《のど》がかわく筈だ。お前たちは塩漬けになっていたんだから」
「エッ。塩漬けに……」
 と二人共ビックリして、水を飲むのを止めてふり向きました。
「ああ。おれはお前たちをこの樽に塩漬けにして、おれはやっとここまで逃げて来たんだ」
 と、無茶先生が今までのことを話しますと、二人は夢のさめたように驚きました。そうして、いよいよ無茶先生のエライことがわかりまして、その足もとにひれ伏してお礼を云いました。
 しかし、やがてヒョロ子は自分の身体《からだ》のまわりを見まわしますと、泣きそうな顔になりました。
「けれども先生、私たちはこんなに裸体《はだか》になりましたがどうしましょう。このまま道は歩かれませぬが、どことかに着物はありませぬでしょうか」
「まあ、待て待て」
 と無茶先生はニコニコ笑いました。
「そんなに心配するな。ここは山奥だから誰も見はしない。だから恥ずかしいこともないのだ。お前たちの身体《からだ》がどんなに長くても短くても笑うものは無いのだ。それよりもおれについて来い。これから長い長い旅をするのだ。そうするとおしまいにいい処へ連れて行ってやるから」
 と云ううちに先に立って歩き出しました。
 豚吉とヒョロ子は無茶先生のあとからついてゆきますと、無茶先生は包みを一つ抱えたまま先に立って、二人をだんだん山奥へ連れてゆきました。そのうちにお腹が空《す》きますと、ちょうど秋の事で、方々に栗だの柿だの椎《しい》だの榧《かや》だのいろんな木の実が生《な》っております。それを千切ってたべては行くのでしたが、都合のいい事はヒョロ子が当り前の人の二倍も背が高いので、いつも三人が食べ切れない程木の実を千切ることが出来ました。
 そのうちになおなお山奥になりますと、鳥や獣《けもの》が人間を見たことがないので珍らしそうに近寄って来ます。そうしてしまいには、友達のように身体《からだ》をすりつけたり、頭にとまったりするようになりました。そんなのにヒョロ子は千切った木の実を遣りながら、
「まあ、先生。ここいらには猪や鹿がこんなに沢山居るのですね」
 と云いましたので、無茶先生も豚吉も大笑いをしました。
 こんな風にして何日も何日も旅を続けてゆくうちに、或る日ヒョロ子はシクシク泣き初めましたので、無茶先生がどうしたのかとききますと、ヒョロ子は涙を拭いながら、
「お父さんやお母さんに会いたくなりましたのです」
 と申しました。それをきくと豚吉も一所に泣き出しました。
「私も早くうちへ帰りとう御座います。たった三人切りでこんな山の中をあるくのは淋しくて淋しくてたまりません」
「馬鹿な」
 と、無茶先生は急に怖い顔になって二人を睨みつけました。
「何をつまらんことを云うのだ。お前たちは自分の姿を人が見て笑うのがつらいから村を逃げ出して来たのじゃないか。こうして山の中ばかりあるいていれば誰も笑う者が無いから、おれはお前たちをここへ連れて来たのだ。こうして一生山の中ばかりあるいていれば、これ位のん気なしあわせなことははいではないか」
「エッ……先生、それでは私たちは一生こうして山の中ばかり歩いていなければならないのですか」
 と豚吉は叫びました。
「ああ。何という情ないことでしょう。私はもう笑われても構いませぬ。何故《なぜ》逃げ出したと叱られても構いませぬ。早くうちへ帰ってお父様やお母様にお眼にかかりとう御座います。どうぞどうぞ先生、私たちへうちへ帰る道を教えて下さいませ」
 と、二人共地びたに坐わって、泣きながら無茶先生を拝みました。
 そうすると無茶先生も立ち停まって、ジッと二人を見ていましたが、又怖い顔をして、
「それは本当か」
 と尋ねました。
「本当で御座います本当で御座います。もうどんなことがあっても、両親や友達を欺して村を逃げ出したりなんぞしません」
「きっときっと親孝行を致します」
 と、豚吉もヒョロ子も、涙をしゃくりながら無茶先生にあやまりました。
 無茶先生はその時初めてニッコリしました。
「それをきいて安心した。おれは、お前たちが両親や友達にかくれて逃げて来たものだとわかったから、罰を当てたのだ。お前たちの身体《からだ》をどんなに立派に作りかえても、心が立派にならなければ何もならないと思ったから、わざと両親が恋しくなるようにこんな山の中をいつまでも引っぱりまわしたのだ。けれどもお前たちがそんな心になれば、いつでもお前達の身体《からだ》を立派な姿にしてやる。ちょうどいい。もう山奥は通り過ぎて人間の居る村に近付いている。あれ、あの音をきいて御覧」
 と向うの方を指しました。
 無茶先生が指した方を向いて豚吉とヒョロ子が耳を澄ましますと、一里か二里か、ズッと向うの方から、
「テンカンテンカンテンカンテンカン」
 と鍛冶屋の音がきこえます。
「アッ、鍛冶屋の音が!」
「人間が居る」
 と、二人は飛び上って喜びました。そうして無茶先生と一所に大急ぎでそちらへ近づきましたが、やがてとある崖の上へ出ますと、向うは一面の田圃《たんぼ》で、すぐ眼の下には川が青々と流れて、その流れに沿うた道ばたの一軒の家から、最前の鉄槌《かなづち》の音が引っきりなしにきこえて来ます。
「ヤア。ちょうどいい処にあの鍛冶屋はあるな。よしよし、あの家を借りてお前たちを立派な姿に作りかえてやろう。ちょっと待て。あの家《うち》の様子を見て来るから」
 といううちに無茶先生はグルリと崖のふちをまわって、その家《うち》の門の口へ来ました。
 見るとこの家《うち》の主人は五十ばかりのお爺さんですが、独身者《ひとりもの》と見えてお神さんも子供も居ず、たった一人で一生懸命鉄槌で鉄敷《かなしき》をたたいて、テンカンテンカンと蹄鉄を作っています。それを見ると無茶先生は大きな口を開いて、
「アハハハハハ。テンカンテンカン」
 と笑いました。
 鍛冶屋のお爺さんは不意に門口《かどぐち》から笑うものが居るので吃驚《びっくり》して顔をあげて見ますと、髪毛と髭を蓬々とさした真裸体《まっぱだか》の男が鞄を一つ下げて立っておりますので、大層腹を立てまして怒鳴り付けました。
「何だ、貴様は」
「おれは山男だ」
「山男が何だって鞄を持っているのだ」
「この中にはおれが山の草で作った薬が一パイに詰まっているのだ。どんな病気に利く薬でもあるのだ」
 これをきくと鍛冶屋の爺さんは急にニコニコしまして、
「それあ有り難い。それじゃテンカンに利く薬もあるだろうな」
 とききました。
 無茶先生はトボケた顔をして、
「テンカンとはどんな病気だ。鉄槌で物をたたく病気か」
 と尋ねますと、爺さんは頭を掻きながら、
「そうじゃない。不意に眼がまわって、引っくりかえって泡を吹く病気だ。わたしはその病気があるためにお神さんも貰えずに、たった一人で鍛冶屋をしているのだ」
 と云ううちに泣きそうな顔になりました。
「ウン、その病気か。それならたった一度で利く薬がある。けれども只では遣れないぞ」
「エエ。それはもう私に出来ることでお前さんの望むことなら、何でも御礼にして上げる」
「それじゃ、まずこの仕事場を日の暮れるまで貸してくれ。それから町へお使いに行ってもらいたい」
「それはお易い御用です。今からでもよろしゅう御座います」
「よし、それではこの薬を飲め」
 と、鞄の中から何やら抓《つま》んで、鍛冶屋の爺さんの掌《てのひら》に乗せてやりました。
「ヘイヘイ。これは有り難う御座います」
 とピョコピョコお辞儀をしながらよくよく見ましたが、不思議なことに何べん眼をこすってもそのお薬が見えません。
「これは不思議だ。私の眼がわるくなったのか知らん」
 とお爺さんは独言《ひとりごと》を云いました。
「見えるものか」
 と無茶先生は笑いました。
「それは人間の眼には見えないほど
前へ 次へ
全12ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング