いお金を取り返して帰って行ってしまいました。
その時に豚吉とヒョロ子は町の宿屋に帰ってグーグー寝ておりましたが、そのうちに二人共眼がさめて、
「これからどうしよう」
と相談を初めました。
「せっかく見世物の鹿や猪を見つけたかと思うと、あべこべにこっちが見世物にされそうになって、危いところをやっと助かった」
と豚吉が云いますと、ヒョロ子もほっとため息をして、
「無茶先生が待っていらっしゃるでしょう」
と云いました。そうすると豚吉は何か一生懸命に考えておりましたが、やがて不意に飛び上って喜んで、
「そうだそうだ。うまいことを考えた。おれはちょっと行って来る」
と云ううちに宿屋を飛び出しました。そうしてやがて帰って来たのを見ると、市場から大きな馬と小さな豚を一匹買っております。
「サア、どうだ。馬と鹿なら似ているだろう。豚と猪《しし》も似ているだろう。だから、馬と鹿の背骨も、豚と猪《しし》の背骨も似ているに違いない。これでいいかどうか、無茶先生のところへ持って行って見ようではないか」
ヒョロ子もこれを見て大層感心をしまして、
「ほんとにそれはいい思い付きですわね。どうして今までそんないい事に気が付かなかったでしょう」
と云うので、それから二人は連れ立って、馬と豚とを連れて無茶先生のところへ出かけました。
無茶先生は昨日《きのう》の通り頭や髭を蓬々《ほうほう》として裸で居りましたが、豚吉夫婦が生きた馬と豚を持って来たのを見ると腹を抱えて笑いました。
「アハハハハハハハ。鹿と猪の代りに馬と豚をつれて来たのは面白いな。お前たちさえよければ馬と豚の背骨でも構わない。入れかえてやろう。その代り鹿や猪よりも太くて、しかも長く持たないぞ」
「ヘエ。どれ位持つでしょうか」
「そうだな。鹿の背骨が千年持つならば、馬の背骨は五百年持つ。それから猪のがやはり千年持てば、豚のもやはりその半分の五百年持つのだ」
「それなら大丈夫です。私達は五百年の千年のと生きる筈はありませんから、せいぜいもう百年持てばいいのです」
「馬鹿野郎。まだ自分が死にもせぬのに、五百年生きるか千年生きるかどうしてわかる」
「ヤ。こいつは一本参りましたね」
と豚吉は頭をかきました。
「それじゃ私たちは五百年も生きるでしょうか」
「生きるとも生きるとも。馬や豚の背骨の中におれが長生きの薬を詰めて入れておけば、五百年位はわけなく生きる」
「ヤッ。そいつは有り難い。それじゃすぐに入れ換えて下さい」
「よし。こっちへ来い」
と云ううちに、無茶先生は豚吉とヒョロ子を連れて奥の手術場に連れ込みました。
無茶先生はやっぱり裸体《はだか》のままの野蛮人見たような恐ろしい姿をして、まず豚吉をそこにある大きな四角い平たい石の上に寝かしました。
それから、夫婦が連れて来た二匹の獣《けもの》のうち馬の方だけを手術場に引っぱり込んで、豚吉の横に立たせて、白い繃帯でめかくしをしました。
それから戸棚をあけて、一梃の大きな金槌《かなづち》とギラギラ光る出刃庖丁を持ち出して、まず金槌を握ると、馬の鼻づらをメカクシの上から力一パイなぐり付けましたので、馬はヒンとも云わずに床の上に四足を揃えてドタンとたおれました。
それから、驚いて真蒼《まっさお》になって見ている豚吉の頭の処へ来て、イキナリ金槌をふり上げましたので、豚吉は床の上にコロガリ落ちたまま腰を抜かしてしまいました。
ヒョロ子は肝を潰すまいことか、慌てて走り寄って無茶先生の手に縋りついて、
「マア。何をなさいます」
と叫びました。
無茶先生はヒョロ子に止められるとあべこべにビックリした顔をして、振り上げた金槌を下しながら怖い顔をして云いました。
「何だって止めるのだ。この金槌で豚吉の頭をなぐるばかりだ」
「マア、怖ろしい。そうしたら私の大切な豚吉さんは死んでしまうじゃありませんか」
「ウン、死ぬよ」
「死んだものに背骨を入れかえて背丈《せい》を高くしても、何の役に立ちますか」
「アハハハハ」
と無茶先生は笑い出しました。
「アハハハ、そうか。お前たちはこの金槌でなぐられて死ぬと、もう生き返らないと思って、そんなに心配をするのか。それなら心配することはない。今一度殴れば生き返るのだ。ソレ、この通り」
と云ううちに、無茶先生は傍にたおれている馬の額を金槌でコツンと打ちますと、死んだと思った馬は眼を開いてビックリしたように飛び起きました。無茶先生は大威張りで、又馬を打ちたおしました。
「それ見ろ、この通りだ。豚吉でもこの通り」
と、イキナリ豚吉の頭に金槌をふり上げますと、
「助けてくれッ」
と豚吉は泣き声を出しながら表の方へ駈け出したので、ヒョロ子も一所に走り出しました。そのあとから、生き残った豚もくっついて走って行きました。
「ヤア大変だ」
と無茶先生がその豚を裸のまんま追っかけました。
「貴様は殺したあとで肉を売って喰おうと思っていたのに……ヤーイ……豚ヤーイ」
と怒鳴りながら駈出しましたので、豚吉は自分の事かと思って一生懸命に走ります。そのあとからヒョロ子が走ります。そのあとから豚が走ります。そのあとから無茶先生が真裸体《まっぱだか》で走りますので、往来を通っている人はみんなビックリしました。
「何だろう」
「どうしたのだろう」
「行って見ろ行って見ろ」
「ワイワイワイワイ」
と集まって、往来一パイになってかけ出しました。
そのうちに無茶先生はやっと豚の尻尾を押えましたので、それを逃がすまいと一生懸命になっている隙に、豚吉とヒョロ子は一生懸命逃げて宿屋へ帰りましたが、自分たちの居間に這入ると二人はホッと一息しました。
「アア、驚いた。いくら死ななくても、あの金槌でゴツンとやられるのは御免だ」
「ホントに恐ろしゅう御座いましたね」
二人は話し合いました。
「おれあもう諦めた。一生涯片輪でもいい。おれたちの片輪を治してくれるお医者は無いものと思ってあきらめよう」
「ほんとに。あんな恐ろしい眼に遇うよりも片輪でいた方がいいかも知れません」
夫婦がこんなことを云っているところへ、表の方が大変騒がしくなりましたから、何事かと思って障子のすき間から夫婦でのぞいて見ますと、コハイカニ……表の通りは一パイの人で、みんな口々に、
「さっきこの家に走り込んだ珍らしい夫婦を見せろ見せろ」
と怒鳴り散らしております。
それをこの家《うち》の番頭さんが押し止めて、
「いけませんいけません。あれは私の家《うち》の大切なお客様ですから、私の方で勝手に見せるわけに参りません。もし見たいとお思いになるならば、私のうちにお泊り下さるよりほかに致し方ありません」
と大きな声で云っております。
往来の人々はそれを聞くと、
「そんならおれはここに待っていて、あの夫婦が出かけるのを待っている」
というものと、
「おれはこの家に泊って、是非ともあの夫婦を見るんだ」
というものと二つに別れましたが、泊る方の人々は、
「サア。番頭さん、泊めてくれろ。宿賃はいくらでも出す。ゼヒとも一ぺんあの珍らしい夫婦を見なければ――」
と番頭さんに云いましたが、番頭さんは又手を振りました。
「いけませんいけません。あなた方より先にこの宿に泊っている人でこの宿屋は一パイなのです」
「この野郎、嘘を吐《つ》くか」
とその人々は騒ぎ立ちました。
「貴様はうるさいものだからそんなことを云うのだ。泊めないと云うなら、表を押破って這入るぞ」
といううちに、われもわれもと番頭を押しのけてドンドン中へ這入って来ました。
これを聞くと豚吉はふるえながら、
「どうしよう」
といいます。ヒョロ子も何ともしようがないので、互に顔を見合わせておりますと、そのうちに下からドカドカと大勢の人が上がって来るようです。
「どこだどこだ」
「下の方には居ないようだ」
「二階だ二階だ」
といううちに、五六人ドカドカと二階の梯子段を飛び上って来る音をききますと、ヒョロ子は慌てて豚吉の方へ背中を向けて、
「サア、私におんぶなさい」
と云いました。そうして、
「どうするのだ」
と驚いている豚吉を捕えて背中に負うて、そこにあった帯で十文字にくくり付けますと、すぐに窓をあけて屋根の上に飛び出しました。
これを見付けた往来の人々は大騒ぎを初めました。
「ヤア。屋根に出て来たぞ。しかも男が女に背負《おぶ》さっているぞ。みんな出て来い。見ろ見ろ」
と口々に叫びました。
ヒョロ子はそれを見るとすぐに隣の屋根にヒョイと飛び移って、屋根を伝って、又その先の屋根へヒョイと飛び移って行きました。そうすると、これを見付けた宿屋の番頭が又大声を出して、
「ヤア。あの夫婦は喰い逃げだ。喰い逃げだ。みなさん、捕まえて下さいッ」
と叫びました。
「ソレッ、捕まえろ」
と、大勢の見物人も屋根伝いに逃げる二人のあとから往来の上をドンドン追っかけ初めました。
こうなるとヒョロ子も一生懸命です。屋根から屋根、軒から軒と、重たい豚吉を背負ったまま飛んでは走り飛んでは走りします。それを下から見物人が指さしながら、
「あっちへ逃げたぞ」
「こっちへ来たぞ」
と面白半分に追いまわします。そのうちに通りかかりの人々は皆、屋根の上を走る奇妙な夫婦の姿を見て驚いて、みんなと一所に走り出しますので、人数はだんだんに殖えるばかり。しまいには何千人とも何万人ともわからぬ位になって、ワアワアワアワアワアと町中の騒ぎになりました。
けれども、遠く離れた往来を通っている人には何事だかわかりません。
「何という騒ぎだろう」
「戦争でしょうか」
「鉄砲の音がしない」
「火事だろうか」
「煙が見えない」
「何だろう何だろう」
「行って見ろ行って見ろ」
駈け出すものや、屋根に上るものなぞが、あとからあとから出来て、騒ぎはいよいよ大きくなるばかり。中には転んで踏み潰されたり、屋根から落ちて怪我をしたり、又はブツカリ合って喧嘩を初めるものなぞがあって恐ろしい有様になりました。
そうなると警察もほっておくわけに行きませんので、ドンドン巡査を繰出します。消防も半鐘《はんしょう》をたたいたので、近くの町や村々の消防や蒸気ポンプがわれもわれもと駈け付けましたが、何しろ騒ぎが大きいのと、どこの往来も人で一パイなので近寄ることが出来ません。一所になって、
「静まれ静まれ」
と叫ぶばかりなので、町中は引っくり返るような騒ぎです。
こちらはヒョロ子です。豚吉を背負ったまま高い屋根の上に立って四方を見渡しますと、見渡す限りの往来も屋根もみんな人間ばかりで、警察や消防も出て来ているようです。どっちを向いても逃げようがありません。
「ああ、情ないことになった。おれたちが片輪に生れたばっかりに、こんな騒ぎになった。もうとても助からぬ。捕まったら殺されるに違いない」
と、豚吉はヒョロ子の背中に掴まって、ブルブルふるえながらオイオイ泣き出しました。
ヒョロ子も涙を流しながら、
「ほんとにそうです。けれども私たちが結婚式の晩に村を逃げ出しさえしなければ、こんな眼に会わなかったでしょう。お父さんやお母様や親類の人達に御心配をかけた罰でしょう」
と云いました。
「そうじゃない」
と豚吉は怒鳴りました。
「あの橋を無理に渡って、こんな馬鹿ばかり居る町に来たからこんな眼に会うのだ」
「そうじゃありません。音《おと》なしくあの見世物師の云うことをきいて見世物になっておれば、こんなことにならなかったのです。檻を破ったり何かした罰です」
「そうじゃない。あの無茶先生に診《み》せに行ったのがわるかったんだ」
「そうじゃありません。あの無茶先生がせっかく治してやろうとおっしゃったのを、逃げ出したからわるいのです」
「そうじゃない。お前がおれをこんなに背中に結び付けて、屋根の上を走ったりするもんだからこんな騒ぎになるのだ。お前は馬鹿だよ」
「馬鹿でもほかに仕方がありませんもの……」
「ああ、飛んだ女と夫婦になった」
「そんなら知りません。あなたをここに捨てて逃げてゆ
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