したくなりましたが、きょうは大切な用事で来たのですから逃げる訳に行きません。一生懸命で人を押しわけながら先ず神様へ参りまして、二人とも手を合わせて、
「どうぞ私どもの身体《からだ》が当り前の人のように恰好《かっこう》よくなりますように」
とお祈りを上げまして、それからお宮のうしろの見世物の処へ来ますと、そこは前よりも一層賑やかで、音楽隊の音や見物を呼ぶ声が耳も潰れるようです。
夫婦はビックリして立止まって見ておりましたが、そのうちに向うの方に獣《けもの》の絵看板を沢山に並べた一軒の見世物小舎が見つかりました。
豚吉とヒョロ子夫婦はその動物の見世物小屋の方へ行きますと、夫婦の珍らしい姿を見に集まったものがあとから黒山のようについて来ます。それを構わずに夫婦はやがてその見世物小屋の前に来て、お金を払って中に這入りますと、あとからついて来た黒山のように沢山の人間も、夫婦の珍らしい姿が見たさにわれもわれもとお金を払って中に這入りましたので、大きな見世物小屋が一パイになりました。
二人は中に這入って見ますと、象やライオンや大蛇や虎の中にまじって、猪や鹿もおりましたので大喜びしまして、表に出て入り口の番人にこの動物園の主人に会わしてくれまいかと頼みますと、その番人はニコニコしながら、
「私が主人です」
と云いました。
「ヤア。それは有り難い。それなら一つ、私達夫婦からお願いしたいことがあるがきいてくれないか」
と豚吉もニコニコして云いました。すると主人は又一層ニコニコしまして、二人の顔を見ながら、
「それならば私からもお願いしたいことがあります。しかし、ここでは忙しくてお話が出来ませんから、こちらへお出でなさい」
と、夫婦を自分達の宿屋へ連れてゆきました。
動物園の主人は宿屋へ来ますと、夫婦にお茶やお菓子を出してもてなしながら、
「あなた方のお頼みとはどんなことですか」
とききました。夫婦は代る代るに、自分達が世にも珍らしい片輪であることから、無茶先生のところへ来て治してもらおうと思ったこと、そうしたら無茶先生が鹿と猪を買って来いと言われたことまで話しまして、
「済まないが、お金はいくらでもあげるから、あなたの処に居る猪と鹿を私達に売ってくれまいか」
と頼みました。
動物園の主人はこれをききまして、
「それはお易いことです。今日でも売ってあげましょう。しかし、そんなことをなさらずとももっといい事がありますが、その方になすっちゃどうです」
と、又ニコニコしながら云いました。
豚吉は無茶先生から治してもらうよりももっといい事があると聞いて喜びまして、
「それはどんなことをするのですか」
と尋ねました。動物園の主人はエヘンと咳払いをしまして、
「それはこうです。あなた方は世にも珍らしいお身体《からだ》をしておいでになるので、又そんなお身体《からだ》に生れて来ようと思ってもできる事ではありません。それを治してしまうのは惜いことです。それよりも一層《いっそ》のこと、私に雇われて下さいませんか。そうすればお金はこちらからいくらでもあげます。あなた方が二人、私のところに居らるれば、毎日見物人が一パイで、私は山のようにお金を儲けることが出来ます。どうぞあなた方御夫婦で見世物になって下さいませんか」
とまじめ腐って云いました。
豚吉はこれを聞くと、今までニコニコしていたのに急に憤《おこ》り出しまして、大きな声で動物園の主人を怒鳴りつけました。
「この馬鹿野郎、飛んでもないことを云う。おれたちはまだ見世物になるようなわるいことをしていない。貴様は何という失敬な奴だ」
と、真赤になって掴みかかろうとしました。
ヒョロ子は慌ててそれを押し止めまして、
「お待ちなさい。この動物園の御主人は何も御存じないからそんなことをおっしゃるのです。折角鹿や猪を売ってやろうとおっしゃるような親切な方に、そんなことを云うものではありません」
と云ってから、今度は青くなっている動物園の主人に向って、
「どうも私の主人は気が短いので、すぐ憤《おこ》り出して済みません。けれども見世物になることだけはおことわり致します。ほんとのことを申しますと、私達は人から見られるのがイヤで、婚礼の晩に逃げ出して来たくらいです。きょうでも只鹿や猪の生きたのが欲しいばっかりに、あなたのところへ行きましたのです。ですから、済みませんが鹿と猪を売って下さいませんか」
とていねいに頼みました。
動物園の主人はガッカリした顔をしてきいておりましたが、やがてうなずきまして、
「それじゃよろしゅう御座います。売って上げましょう。今夜遅く、一時過ぎに入らっしゃい。生きた猪と鹿を箱ごと上げます。そうして車に積んで、無茶先生のところまで持たして上げますから」
と云いました。
夫婦は喜んでお礼を云いまして、そこを出て、一先ず町の宿屋へ帰りました。
豚吉とヒョロ子夫婦はその夜遅く動物の見世物小舎の前まで来ますと、もう見物人も何も居ず、音楽隊やそのほかの雇人《やといにん》も皆一人も居なくなって、表には主人がたった一人番をしておりましたが、二人を見ると、
「サアサア、こちらへお出でなさい。猪と鹿とをチャンと檻に入れておきました」
と、ニコニコして見世物小舎の中に案内しました。
ところが二人が何気なく見世物小舎に這入りますと間もなく、地の下に陥囲《おとしあな》が仕かけてありましたので、二人ともその中に落ち込んだ上に、その又|陥囲《おとしあな》の中《うち》に在った蹄係《わな》に手足を縛られて、身体《からだ》を動かすことも出来なくなりました。
その時に動物園の主人は穴の上からのぞいて、大きな声で笑いました。
「アハハハハハ。ザマを見ろ。折角人が親切に雇ってお金を儲けさしてやろうと思ったのに、云うことをきかないからそんな眼に合わされるのだ。あしたからお前達を見世物にして、おれはお金をウンと儲けるつもりだ。サアみんな出て来い」
と云いますと、今まで隠れていた見世物の雇い人が出て来て、二人を押えつけて新しい檻の中に入れて、上から幕を冠せました。
檻に入れられるとすぐに豚吉はワーワー泣き出しましたが、ヒョロ子は泣きません。かえってニコニコしながら豚吉の耳に口を寄せて、
「泣かないでいらっしゃい。もうすこしするとこの檻から出られますから」
と云いました。豚吉は泣き止むと一所にビックリしまして、
「エッ。この檻の中からどうして逃げられるのだ」
と云いました。ヒョロ子は慌ててその口を押えて、
「黙っていらっしゃい。今にわかりますから。大きな声を出すと、逃げるときに見つかりますよ」
と云いましたので、豚吉は黙ってしまいました。
そのうちに動物園の主人が、
「サア、皆うちへ帰っていい。二人はもう檻へ入れたから大丈夫だ」
と云いますと、みんな帰ったようすで、そこいらが静かになりました。
ヒョロ子は真暗い檻の中で豚吉の耳に口を寄せて、
「サア待っていらっしゃい。二人でこの檻を出ますから」
と云いましたので、豚吉はビックリしました。やはり小さな声で云いました。
「どうして逃げるのだ。前には鉄の棒が立っているし、うしろの入り口には鍵がかかっているし、どこからも出るところは無いではないか」
「待って入らっしゃい。今にわかります。私が先に出て、あとからあなたが出られるようにして上げますから、ジッとして待っていらっしゃい」
と云ううちに、ヒョロ子は前に並んではめてある鉄の棒の間から足を出しました。それから身体《からだ》を横にして少しゆすぶりますと、幅も厚さも当り前の人の半分しかないのですから、わけなくスーと外へ出ました。
それからヒョロ子は、外を包んだ幕をまくって外へ出て、そこいらから大きな丸太ん棒を拾って来て、豚吉が這入っている檻の鉄の格子の間に突込んでグイグイと押しますと、太い鉄の棒が一本外れました。
待ちかねた豚吉は慌ててその間から出ようとしましたが、まだ出られませんので、又一本外しましたが、まだ出られません。又一本、又一本と、都合五本外しましたら、やっと豚吉が出て来ることが出来ました。
「助かったア」
と豚吉は嬉しまぎれに叫びましたので、ヒョロ子はビックリして止めまして、
「そんな声を出してはいけません。誰か居たらどうします」
と云ううちに、檻の外にかかった幕を揚げて、見世物小屋の入口の処に来ますと、さっき居た主人はどこに行ったか見当りません。いいあんばいだと、二人は真暗な中をドシドシ逃げてゆきました。
動物園の見世物の主人はそんなことは知りません。
二人を檻に入れますとすぐに宿屋に帰って、自分の手下の中《うち》で画《え》をよく書く者に、ヒョロ長いヒョロ子の姿とブタブタした豚吉の姿を描かせました。それを夜の明けぬうちに見世物小屋の上にあげさせました。それを眺めて動物園の主人はニコニコして、
「これでいいこれでいい。サアみんな寝ろ。あしたは見物が一パイに来るに違いないから、みんな早く起きて来るんだぞ」
あくる朝になりますと、見世物小舎の主人は、前の晩に豚吉夫婦を捕えて檻の中へ入れたり何かしたものですから疲れたと見えまして、たいそう朝寝をして眼を覚ましましたが、見ると雇人《やといにん》もまだみんなグーグーと睡っています。それを一人一人に起こして、揃って御飯を喰べて、見世物小舎の前に来て見ますと、この小舎の前はもう人間で中に這入れない位です。その人々は皆口々に、
「早く入り口をあけろあけろ」
「あの看板に出ている珍らしい夫婦を見せろ見せろ」
と怒鳴っています。それを早起きして来た動物の番人が一生懸命で止めています。
見世物小舎の主人は飛び上って喜びました。その大勢の人を押しわけて中に這入りますと、いきなり高い処に上って演説を初めました。
「サアサア皆さん、静かにして下さい。今から皆様にあの看板の通りの世界一の珍らしい夫婦を御目にかけます。あの夫婦は昨日《きのう》この見世物小舎に見物に参りましたのですが、御覧の通り珍らしい姿ですから、私が百万円出して夫婦を買い取りまして皆様にお眼にかけることにしました。ですから、あれを御覧になりたいとおっしゃる方は、一人前一円|宛《ずつ》お出しにならねばお眼にかけません。サアサア皆さん。又と見られぬ世界一の珍らしい夫婦です。おかみさんの高さが一丈八尺もあって、旦那様の高さがたった三尺という百万円の珍夫婦……一円位は安いものです。入らっしゃい入らっしゃい」
これをきくと、何しろ大評判な上に又と見られないというので、われもわれもと一円出して、見る見るうちに中は一パイになってしまいました。
そうすると見世物小屋の主人は今度は中に這入って来て、見物の前に立ちまして、
「サアサア皆さん。よく御覧なさい。これが世界一の珍夫婦です」
と云ううちに、前にかかっていた幕を外しますと……どうでしょう……丈夫な鉄の格子が五本も外れて、中には夫婦の姿は見えません。
見世物小屋の主人は肝を潰しました。
「こりゃあどうじゃ。いつの間に逃げたんだろう。その上にこの丈夫な檻の格子を破るなんて何と恐ろしい力だろう」
と呆気《あっけ》に取られておりました。
けれども見物は承知しません。
「ヤアヤア。その珍らしい夫婦はどうしたんだどうしたんだ」
とわめきますので、見世物小屋の主人は頭を抱えて、
「昨夜、檻を破って逃げられたんです。たしかにこの中に入れといたんですが」
と云いましたけれども、見物はやっぱり承知しません。
「その檻を破るような人間があるものか。貴様は嘘をついているのだろう」
と、みんなワアワア騒ぎ出しました。これを見ると主人は慌てて、
「嘘じゃありません嘘じゃありません。御勘弁御勘弁」
と云いながら、頭を抱えて逃げ出しました。
「アレッ。畜生。嘘をついてお金を取って逃げようとするか。泥棒だ泥棒だ。殴っちまえ殴っちまえ」
と云ううちに大勢の見物人が上って来て、見世物小屋の主人をメチャメチャに殴り付て、踏んだり蹴ったりしますと、めいめ
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