きます」
「イケナイ。そんなことをすると喰い付くぞ、この野郎」
 と云うと、イキナリ豚吉はヒョロ子の髪毛《かみのけ》を捕まえました。
「アア痛い。放して下さい放して下さい。逃げられませんから」
 とヒョロ子は金切声を出しました。
 これを見た往来の人々は、
「ヤア。あすこで夫婦喧嘩を初めた。今の間に捕まえろ」
 というので梯子を持って来ますと、元気のいい二三人の青年が屋根の上に飛び上って来ました。
 それを見ると、豚吉は慌ててヒョロ子の髪毛を放しながら、
「ソレ、捕まるぞ。逃げろ逃げろ」
 と云いますと、ヒョロ子は夢中になって往来を隔てた向うの屋根に飛び移りました。
「ソレ、又逃げ出した」
「あっちへ行った」
「追っかけろ追っかけろ」
 と追いまわし初めましたが、何しろ人数が多いのでヒョロ子夫婦はどっちへも逃げようがありません。それをあっちへ飛び、こっちへ飛びしているうちに、ヒョロ子は豚吉を背負ったままだんだん町外れの方へ来ましたが、その家の無くなりがけに小さい古ぼけた屋根が見えます。そこから先はもう家も何も無い上に、仕合わせと人間もまだ追い付いて来ていない様子で、往来には誰も居ないよ
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