「ヤア大変だ」
 と無茶先生がその豚を裸のまんま追っかけました。
「貴様は殺したあとで肉を売って喰おうと思っていたのに……ヤーイ……豚ヤーイ」
 と怒鳴りながら駈出しましたので、豚吉は自分の事かと思って一生懸命に走ります。そのあとからヒョロ子が走ります。そのあとから豚が走ります。そのあとから無茶先生が真裸体《まっぱだか》で走りますので、往来を通っている人はみんなビックリしました。
「何だろう」
「どうしたのだろう」
「行って見ろ行って見ろ」
「ワイワイワイワイ」
 と集まって、往来一パイになってかけ出しました。
 そのうちに無茶先生はやっと豚の尻尾を押えましたので、それを逃がすまいと一生懸命になっている隙に、豚吉とヒョロ子は一生懸命逃げて宿屋へ帰りましたが、自分たちの居間に這入ると二人はホッと一息しました。
「アア、驚いた。いくら死ななくても、あの金槌でゴツンとやられるのは御免だ」
「ホントに恐ろしゅう御座いましたね」
 二人は話し合いました。
「おれあもう諦めた。一生涯片輪でもいい。おれたちの片輪を治してくれるお医者は無いものと思ってあきらめよう」
「ほんとに。あんな恐ろしい眼に遇うよりも片輪でいた方がいいかも知れません」
 夫婦がこんなことを云っているところへ、表の方が大変騒がしくなりましたから、何事かと思って障子のすき間から夫婦でのぞいて見ますと、コハイカニ……表の通りは一パイの人で、みんな口々に、
「さっきこの家に走り込んだ珍らしい夫婦を見せろ見せろ」
 と怒鳴り散らしております。
 それをこの家《うち》の番頭さんが押し止めて、
「いけませんいけません。あれは私の家《うち》の大切なお客様ですから、私の方で勝手に見せるわけに参りません。もし見たいとお思いになるならば、私のうちにお泊り下さるよりほかに致し方ありません」
 と大きな声で云っております。
 往来の人々はそれを聞くと、
「そんならおれはここに待っていて、あの夫婦が出かけるのを待っている」
 というものと、
「おれはこの家に泊って、是非ともあの夫婦を見るんだ」
 というものと二つに別れましたが、泊る方の人々は、
「サア。番頭さん、泊めてくれろ。宿賃はいくらでも出す。ゼヒとも一ぺんあの珍らしい夫婦を見なければ――」
 と番頭さんに云いましたが、番頭さんは又手を振りました。
「いけませんいけません。あなた方
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