居る。
 何々紹介所、又は周旋所、口入所《くちいれしょ》なぞ看板をかけたのもある。中に這入ると粗末な椅子やテーブルがあって、変な男が出て来て応対をする。何も知らずに世話を頼みに来た男女は、大抵一円か五十銭か取られて追払われる。それっ切りである。しかし、案内を知って来た男は奥や二階に通されるという仕かけである。こんな処のは、飲み喰い抜きの切り売りが多い。

     安価な食欲と性欲の共同提供

 東京市中がこんな浅ましい状態になった原因が、取りあえず二つある。一つは云う迄もなく一昨年の大地震である。
 あの大地震は東京市中の到る処に安飲食店をゆすり出した。同時に東京市中にありとあらゆる女のクズをたたき出した。
 喰い飢えた東京人、女に渇《かわ》いた東《あずま》の男は、滅多無性に安い食物と安い女を求めた。
 職を失った人々は何という事なしに手軽な飲食店を開いた。中には一攫千金を極め込んだものも居る。同時に途方に暮れた弱い女たちは、何故という事なしにその唯一の財産を大道に晒《さら》して売らなければならなかった。彼女達の場合は、最初、野天が多かった。併し後《のち》になって、この二つの商売……安価な食欲と性欲の提供業は期せずして共同した。そうして今日までズーッと繁昌して来た。その当時と今の違うところは、その間《かん》に著しい価格の階級が出来ているだけの事である。

     飛んだ紀の國屋文左衛門

 昔、紀の國屋文左衛門は、江戸の大火と見ると、すぐに木曾に材木を仕入れに行ったという。大正の大震火災では、東京が灰燼《かいじん》になったと見ると、一目散に東京を飛び出して、五人十人二十人三十人と醜業婦を仕入れて帰って来て大金儲けをしたものが多い。
 相生署の某刑事は云った。
「大抵は芸者にしてやるからと云って連れて来たのが多いようです。勿論、芸者にはしません。非道《ひど》いのになると、四人の少女を一人一人一室に監禁して、便器と枕と布団だけ宛《あて》がっていたのもあります。稼がなければ喰わせないのだから堪まりません。経験のある女を仕入れて来た奴の中には、富豪の邸の焼けあと、空虚になった工場の中などで切り売りをさせたのもあったそうです。私はこの頃東京に来たので事実は知りませんが、先輩がそんな話をしておりました。遠いのは東北から越後方面から連れて来たのもあったそうです。何しろ震災後今日まで、警察の方でも仕事が多過ぎて手のつけようがないので、仕方なしにポツリポツリとやっている状態ですから、そう隅々まで行届きますまい。風紀の取締なんかは当分ほったらかしておくつもりらしいのです。怪しい処を一々手を入れていたら際限がありませんからね」
 云々と。以て推して知るべしである。
 一方に、震災当時の有様を今日まで残している処もある。去年の秋あたり、日比谷、上野、小石川のバラックの裏手を夜十二時過ぎに通ると、そこにもここにも怪しい男女が蠢《うご》めいていた。その付近は真面目な男女が通れなくなっている位であったという。
 東京郊外、川向うの深川、本所、向島、亀井戸あたりの暗《やみ》から暗に続く木立の中や、バラックの空隙がどんな状態であったかは読者の想像に任せる。
 この冬の寒気はこの風俗をその筋の取締以上に厳重に禁止した事であろう。しかし追々《おいおい》と近付く春のぬくみは、又もやこの醜態を東京市の内外に復活するであろう。

     東京は文明国の都市か殖民地か

 東京市内に於ける魔窟大繁昌の第二の原因は極めて皮肉で面白い。即ち震災を機会として試みられた当局の「私娼撲滅」である。
「公娼私娼の存在は文明国たる日本の恥辱」といったような議論をよく聴かされる。救世軍、婦人矯風会、その他の宗教関係の人々、又は或る一派の社会政策研究者、人道論者等のそれがそうである。
 このような人々はよく外国の例を引くようである。
「外国の都市には私娼も公娼も無い。それでいてチャンと風紀が保たれている。公娼私娼を置かなければ遣り切れないような国民では駄目だ」
 というような説さえも耳にする。
 一方に、海外の殖民地を見て来た人なぞには、よく日本の娘子《じょうし》軍の威力を賞《ほ》め千切《ちぎ》る人がある。
「彼女達の魔力は無人の野山を見る間《ま》に都会にして終《しま》う。これを以て見れば、東京から吉原や千束町を除くものは東京の繁昌を呪うものだ。醜業婦は都市の繁昌のため欠くべからざるものだ」
 なぞ云う人もある。
 この二様の議論のどちらが怪《け》しかるか怪《け》しからないかは、人々に依ってそれぞれ意見があるであろう。
 論より証拠、当局が東京第一、否、日本第一の魔窟浅草の千束町をたたきつぶした結果を見ればわかる。

     醜業窟撲滅の結果

 私娼は撲滅すべきものである。
 人身売買のあらわれである。
 青年堕落の直接原因である。
 病毒の巣窟である。
 曰《いわ》く何、曰く何……。
 東京の浅草千束町――詳しく云えば千束町の一部と猿之助横町の一画全部、三町四方に蟠《わだ》かまる三百余軒の醜業窟六百余人の醜業婦は、このような理由で久しい間狙われていた。
 しかし震災前までは当局でもどうする事も出来なかった。浅草区役所の収入の大部分が、彼女達の納むる税金で持っていたためだと皮肉る者もあった。
 それが震災と同時に不許可を申し渡された。記者の勘定するところに依ると、現在では十三軒の果物、菓子店があって、お化粧をつけた女の姿がチラホラしているだけである。もし彼女たちが醜業をすると二十九日間の拘留に処し、写真を撮って所払いにする……こうして取締っていると処の警察では威張っている。
 誠に大英断である。否、誠に結構な「試み」である。しかしその結果はどうか……。
 東京市内付近へかけて八方に散った千束町の醜業婦は、その行く先々で醜業をやっている。

     浅草券番の出現

 浅草では同時に六百人を包容する券番が許可された。
 この券番許可の裡面には、千束町の繁昌に依って存在していた或る二つの勢力、二百名の新生会員と百名の大成会員が大々的の暗中飛躍を試みた。新生会の方は千束町の撲滅に対して正面から反対して、飽く迄も昔の千束町を復活させてもらうべく運動をした。これに対して大成会の方は早く見切りをつけて、代りに券番の許可を出願した。そうしてその又裡面には、魔窟の中を横行していた公園ゴロが必死の活動を試みた。大和民労会の五六十名、河井徳三郎や高橋金次郎の乾児《こぶん》なぞが血眼になったという面白い来歴があるが、古い話だからここには略する。
 こうしたヤッサモッサに対して、その筋は断乎たる方針を取った。そうして大成会の券番設置運動に対して最後の栄冠を与えた。この当局の措置に対しては、怪《け》しかるとか怪《け》しからぬとかいろんな噂もあるが、要するにその筋では最穏健な措置を取ったつもりらしい。

     一円五十銭から七八円の女を求むる者が大多数

 この浅草の大券番設置出願の本当の理由は、今までの千束町の女を利用する目的でなかった。各地から新しい職業婦人を輸入して、千束町に代るべき頽廃気分を作るためであった。又、そうでなければ当局が許可する筈もなかった。
 しかしその結果が可笑《おか》しな事になった。東京市内の遊蕩児の相手になる女は、全体から見て却《かえ》って増加した事になった。つまり浅草では、六百人の女がタタキ散らされたあとに、又六百人の女が公然備え付けられた事になった。

 しかもそれ許りに止まらぬ。
 浅草は震災前から特別な処である。しかも震災後、各種の興行物や飲食店なぞが作る、所謂浅草気分は数層倍濃厚になった。これに吸い寄せられて来る人々も震災前に数倍した。
 ところで浅草気分に浸《ひた》りに来る人々は皆、或る種の欲求を持って来る人々である。その欲求の大部分は芸者では満たされない。一円五六十銭から七八円の女を求めて来る者が、二三十円から四五十円の女を求めて来る者よりずっと多いのは無論である。
 こうした低級な享楽的要求に満ち満ちた浅草界隈に、こうした低級な享楽気分を売る店が出来るのは当然である。券番だけで足りないのは当り前である。事実、浅草の千束町が潰れると、浅草全体が千束町となった。もっと華やかな、もっと濃厚な、そうしてもっと広い区域になった……と知るや知らずや、その筋のお役人は、千束町のあとに並んだ果物屋だけを勘定して、浅草は廓清《かくせい》されたと云っている。
 それだけならまだいい。

     醜業道の奨励、宣伝、講習のためその筋の鞭に追われて

 吉原の遊女は震災前より約一千人程減った。おまけに千束町が潰れた。
 一方に、東京市民の淫蕩気分は弥《いや》が上に甚だしくなって来る。どこかにセリ出されねば納まりが付かぬ。
 ところで、千束町に居た六百人の私娼はどこに行ったかと云うと、亀井戸、柳島、玉の井、尾久の方面に固まって逃げ込んだ。そのせいか、震災後のその方面の繁昌は恐ろしい程だという。
 御存じの方は御存じであろうが、警察官やその方面の営業者の話に依ると、千束町の女は日本全国のどこの女にもない特徴を持っている。何という事はなしにお客を引きつける力を持っている。その代り一度千束町に落ち込んだ女は、永久に醜業を止めようとしない。この傾向は一般の醜業婦にもあるが、千束町のは特別だという。
 こうした特徴を持つ千束町の女が逃げ込んだ処の女たちは、皆非常に刺戟された。イヤでも腕を研《みが》かなければならなくなった。一方にお客の方でも、なじみであるなしにかかわらずそんな方面を撰んで押かけて、そんな女を奪い合って遊ぶようになった。何の事はない、千束町の女は、醜業道の宣伝と奨励と講習のため、その筋の鞭に追われて、東京市内外の各所に派遣されたようなわけになった。

     何百何千の女の祟《たた》り

 記者は私娼公娼の廃絶論に満腔の敬意を払うものである。同時にその議論が事実上常に裏切られつつある事を悲しむものである。
 東京の千束町を只一ヶ所たたき潰したために、東京はその何層倍の呪いを受けている。この上吉原まで潰したらどんな事になるかわからない。
 宗教上、道徳上、社会政策上、又は単なる体裁上、私娼公娼の存在に反対する人々は大切な事を忘れている。女というものは殺すと化けて出るものである。況《ま》して、何百何千の無恥無教育の女の生業を奪うような事をしたら、どれ位祟られるかわからない。
 目的は要するに一般の風俗の改善である。この目的が達せられない限り、私娼公娼の絶滅論は考えものである。本《もと》を忘れて末《すえ》に走った議論である。或る一時の人気取りの議論であると云われても仕方があるまいと思われる。
 これは議論に対する議論でない。
 議論に対する事実である。
 東京人の堕落時代が明瞭に証拠立てた事実である。
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   不良少年少女



     東京に行きたがる子女

「東京に行きたい」と、あこがれ望む少年少女は、天下に何人あるかわからぬ。その子女を東京に遣っている父兄、又はこれから東京に遣ろうとする親達も現在どれ程あるかわからぬ。東京は若い国民の教育の中心地である。同時に少年少女の魂の華やかな自由境である。殊に地方に在る子女が、監督者の手を離れ、知人朋友の注視から逃れて、腹一パイに新しい空気を吸いに行く処である。
 そこの空気が如何にみだりがわしく汚れているか。如何に甘い病毒に満ち満ちているか。殊に最近の腐敗が如何に爛熟を極めているかを描く事は心ない業《わざ》でなければならぬ。
 しかし止むを得ない。
 記者はそのような人々のために特に慎重にこの筆を執《と》らねばならぬ。出来る限り露骨に真相を伝えねばならぬ。

     不良性と震災後の推移

 清浄無垢な少年少女の空前の不浄化は、東京人の堕落の中でも最も深刻な意味を持っている。
 不良少年少女の激増は、東京人の堕落時代を最も深く裏書するものである。その時代相は日本文化の欠陥そのものを指さし示してい
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