都会の子女は敏感である。彼等は、僅の時間を隔てて同じ机に依る事に、云い知れぬ魅惑をおぼえた。そこに残る異性の手すさびのあと、そこにほのめく異性の香《か》はこの上もなくなつかしまれた。そこに落ちている紙一枚、糸一筋さえも、彼等には云い知れぬ蠱惑《こわく》的なものに見えた。殊にその校舎の中の案内を知ったという事は、その子女の不良化に非常な便宜を与えたという。
こうして彼等はその異性の通う学校に云い知れぬ親しみを感ずるようになった。そうした男女共学が止んでも、その魂はその校舎の中をさまようた。その筋に上げられた子女、又は記者と語った不良少年で、この心持ちを有りのままに白状したものが珍らしくない。
地震後の学校のサボの自由
男の学校を借りて男の生徒を教育したのにも弊害が出来た。
午前、午後、夜間と引き続いて教授をしたところなぞは殊にそうであった。
そうした学校の付近の飲食店やミルクホール、カフェーなぞは不良学生の巣窟となった。午前中から来る学生は、放課後そんな処に居残って、午後に来る少年を待ち受ける。夜間に来る不良生徒は、早くから来て飲み喰いをしながら、純良な美しい少年を引っかけようと試みる……といった風で、どちらにしてもいい事は一つもなかった事も原因している。
そうしたさなかの事とて、学校当局はもとより、父兄側の取締の不充分であった事も勿論であった。
このような一時|間《ま》に合わせの授業が、校舎の都合や教師の不足等のため、授業開始や放課の時間を改めたり、又は場所を換えたりするのは止むを得なかった。
そのために生徒は何度も面喰らわせられた。うっかりすると真面目な生徒にでさえも、この頃の課業はいい加減なものだという感じを抱かせた。
一方、父兄も共に、子女が「今日は学校は午後です」とか、「今日は午前です」とか、「学校がかわったから」とか、「一時休みです」とかいうので、かなり間誤付《まごつ》かせられた。
このような事実は、なまけものの生徒にとって、この上もない有り難い口実であった。震災後の、万事に慌ただしい、猫の眼のようにうつりかわる気分に慣れた父兄は、わけもなく胡麻化《ごまか》された。日が暮れて帰って来ても、「今日は課業が夜になっちゃって」と済ますことが出来た。
こうしたエス(学校を勝手に休む事)の自由が、どれだけ学生の堕落性を誘発したか知れぬ。
吹きまくる不良風
震災前、東京には各種の学校が、著しい増加の傾向を示した。
私塾程度のものから、半官立と云っていいもの、又は純然たる官立のものまで、あらゆる階級と種類がミッシリと揃った。そのために官立は真面目なもの、私立はズボラなものという、昔の区別が曖昧になって来た。
同時に、私立に通う男女生徒の服装に、官立と見分けのつかないのが殖えて来た。殊に私学の権威が高まったこと等は、一層、この官立の真面目さと、私立の不真面目さを歩み寄らせた。
男の生徒では、私立の職業学校生徒も、官立の生徒も、睨みの利き方が同等になって来た。女学生では、私塾の生徒も、大きな学校の生徒も、幅の利け方が似寄って来た。
官立も、私立も鳥打帽が大流行で、職業婦人の卵も、賢母良妻の雛《ひよ》っ子も、踵《かかと》の高い靴を穿いた。
取締のゆるい学校生徒が、厳重な学校生徒を恐れなくなって来た。
こんなのが震災後ゴチャゴチャになって、時間を隔てた――又は隔てない共学をやった影響がどんなものであるかという事は想像に難くない。
不良風はその後|益《ますます》増加した各種学校の官私立を隔てずに吹きまくった。驚くべく悲しむべき出来事が到る処に起った。
家庭の価値《ねうち》がゼロ
東京は昔から不良少年少女の製造地として恐れられていた。そこへこの間の欧州大戦が思想上から、又、大正十二年の大地震が実際上から影響して、今のように多数の不良少年少女を生み出すに到った順序は今までに述べて来た。
あとに残って少年少女の堕落を喰い止めるものは、唯家庭の感化ばかりである。
ところが、現在の東京人の家庭の多数はこの力を失っている。お父様やお母様の威光、又は兄さまや姉さまのねうちが零になっている家庭が多い。
第一に、現在の親たちと、その子女たちとは思想の根柢が違う事。
第二に、上中下各階級の家庭が冷却、又は紊乱している事。
主としてこの二つの原因があるために、現在の東京の子女には、その家庭に対するなつかしみや敬意を持てなくなっているのが多い。
明治思想と大正思想
東京は明治大正時代の文化の中心地である。だから、そこに居る子女の父兄たちは、大抵明治時代のチャキチャキにきまっている。
明治時代は、日本が外国の物質的文明を受け入れて、一躍世界の一等国となった時代である。だから、その時代に育った人の頭は物質本位、権力本位でかたまっている。
ところがその子女となると、大抵明治の末から大正の初めの生れで、その頭には欧米の物質文明が生み出した、するどい精神文明が影響している。
共産、過激、虚無、その他あらゆる強烈な思想が、宣伝ビラや小冊子となって、欧州大戦の裡面を波打ち流れた――ツァールの帝国主義、カイゼルの軍国主義と戦った――そうして遂に大勝利を博した事を知っている。
欧州戦争の結末は独逸《ドイツ》に対する聯合軍の勝利でない、我が鉄砲玉に勝った結果であるというような事を小耳に挟んでいる。そうして、その結論として、「個性を尊重するためにはすべてを打ちこわしても構わない」というような声を、どこから聞くともなく心の奥底に受け入れている。
だから、明治時代の人々の頭に残っている家族主義や国家主義なぞは、とても古臭くて問題にならぬ、何等《なんら》の科学的根柢を持たぬ――何等の生命を含まぬ思想位に思っている。科学が何やら、生命がどんなものやら知らないままにそう信じている。
まだある。
家を飛び出したい
現代の少年少女がその親達から聴くお説教は、大抵、生活難にいじけた倫理道徳である。物質本位の利害得失論を組み合わせた、砂を噛むような処世法である。殊に震災後の強烈な生存競争に疲れ切った親達は、もうそんな理窟を編み出す力さえ無くなったらしい、大昔から何の効能もないときまった、「恩の押し売り」を試みる位が関の山らしい。あとは学校の先生に任せて、「どうぞよろしく」という式が殖えて来たらしい。
単純な少年少女の頭は、そんな親たちの云う通りになったら、坊主にでもなった気で味気ない一生を送らねばならぬようにしか思われぬ。親のために生れたので、自分のために生れたのではないようにしか思われぬ。とてもやり切れたものでない。「おやじ教育」なぞいう言葉が痛快がられるのは、このような社会心理からと思われる。
少年少女は、だから一日も早く、こんな家庭から逃げ出そうとする。何でも早く家を出よう、独立して生活しよう、そうして享楽しよう……なぞと思うのは上等の方であろう。
こうした気持ちは東京の子女ばかりではない。地方の子女も持っている。地方の若い人々が「東京に行きたい」と思う心の裡面には、こうした気持ちが多分に含まれているであろう。
明治生れの親たちが、その子女から嫌われて、馬鹿にされている裡面には、こんな消息が潜んでいる。
なおこのほかに今一つ重大なのがある。
お乳から悲喜劇
ついこの頃のこと……。
九州方面のある有名な婦人科病院で、こんな悲喜劇があった。
或る名士の若夫人が入院して初子《ういご》を生んだ。安産で、男子で、経過《ひだち》も良かったが、扨《さて》お乳を飲ませる段になると、若夫人が拒絶した。
「妾《あたし》は社交や何かで、これから益《ますます》忙しくなるのです。とても哺乳の時間なぞはありません」
というのが理由であった。付添《つきそい》や看護婦は驚いた。慌てて御主人に電話をかけた。
やって来た御主人は言葉を尽して愛児のために夫人を説いた。しかし夫人は受け入れなかった。頑固に胸を押えた。
御主人は非常に立腹した。
そんな不心得な奴は離縁すると云い棄てて帰った。
夫人は切羽詰まって泣き出した。大変に熱が高まった。
付添と看護婦はいよいよ驚いて、一生懸命になって夫人を説き伏せた。夫人が泣く泣く愛児を懐に抱くのを見届けて、又御主人に電話をかけた。
「奥様が坊ちゃまにお乳をお上げになっています」
御主人はプンプン憤《おこ》って来たが、この様子を見ると心|解《と》けて離縁を許した。
夫人の熱は下った。無事に目出度く退院した。
これを聴いた記者は又驚いた。
東京|風《ふう》がもう九州に入りかけている。今にわざわざ愛児を牛乳で育てる夫人が殖えはしまいかと。
上流家庭に不良が出るわけ
東京の社交婦人の忙しさは、とても九州地方の都会のそれと比べものにならぬ。哺乳をやめ、産児制限をやり、台所、縫物、そのほか家事一切をやめて、朝から晩まで自動車でかけ持ちをやっても追付《おっつ》かぬ方がおいでになる位である。その忙しさの裡面には風儀の紊乱が潜んでいる場合が多い。遠慮なく云えば、上流の夫人ほど我ままをする時間と経済の余裕を持っている。
そんな人の子女に限って家庭教師につけられているのが多い。その又家庭教師にも大正の東京人が多いのである。
震災前の不良少年は、大抵、下層社会の、割合いに無教育な親を持つ子弟であった。それが震災後は反対になって来た。上流の方が次第に殖えて来たと東京市内の各署では云う。
こんな冷たい親たちを持つ上流の子弟が不良化するのは無理もない。
そんな親様がいくら意見したとて利く筈はない。
それでも親としてだまって頭を下げているのは、只お金の関係があるからばかりでなければならぬ。
青春の享楽を先から先へ差し押える親
明治時代の親たちが、大正時代の少年少女の気持ちを理解し得ないのは当り前である。「権利と義務は付き物」という思想では、「人間には権利だけあって義務はない」と思う新しい頭を理解し得られる筈がない。
今の少年少女にとっては、学校は勉強しに行く処でない。卒業しに行く処である。又は親のために行ってやるところである。も一つ進んで云えば、学資をせしめて青春を享楽しに行く処である。
親はそんな事は知らぬ。
早く卒業させよう――働かせよう――又嫁や婿を取らせようと、青春の享楽の種を先から先へと差し押えようとする。
少年少女はいよいよたまらなくなる。益《ますます》家庭から離れよう、せめて精神的にでも解放されようとあせる。
華やかな、明るい、面白い、刺戟の強い、甘い、浮き浮きした方へと魂を傾けて行く。そうしていつの間にか不良化して行く。
親はこれを知らない。
現代の子女がどんな刺戟に生きているかを、明治時代の頭では案じ得ぬ。
良心から切り離されて
台湾征伐、熊本籠城、日清日露の両戦役、又は北清事変、青島征伐等を見た明治人、勤倹尚武思想を幾分なりとも持っている明治人は、科学文明で煎じ詰められた深刻な享楽主義をとても理解し得ない。日本化された近代芸術が生む不可解な詩――鋭い文――デリケートな画――音楽――舞踊――そんなものの中に含まれている魅惑的な段落やポーズ、挑発的な曲線や排列の表現を到底見破り得ない。
一方、都市生活で鋭敏にされた少年少女の柔かい頭には、そんなものが死ぬ程嬉しくふるえ込む。メスのように快く吸い込まれる。
その近代芸術、又は思想の底に隠されている冷たい青白いメスは、彼等少年少女の精神や感情を、一つ一つ道義と良心から切り離して行く……その快さ……。
彼等少年少女は、言わず語らずのうちにそんな感情を味わい慣れている――街頭から――書物から――展覧会から――活動から――芝居から――レコードから――そうして、そんなもののわからぬ親たちを馬鹿にしている。
明治人はこうして、大正人であるその子弟から軽蔑されなければならなくなった。それは嘗て自分たち
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