標語を徹底的に味わった。
「必要の前に善悪無し」
 この悪魔の標語ポスターは今も尚、新東京の暗黒面の至る処にブラ下がっている。上中下各階級の人々は互にその同階級の人々と風儀を紊《みだ》し合っている。同時に上流は下層に、下層は上流に対して、益《ますます》その自由行動の範囲を広めつつある。

     性欲秘密薬と書画

 最近の東京では、性病又は性病予防等に関する秘密薬の売れ行きが盛である。Y書(学生語)出版も同時に大流行である。これ等の売薬や書籍は白昼堂々と店頭に曝《さら》されている。いずれも数年以前はその筋のお許しが出なかったものばかりである。
 これと同様に秘密の石版画、秘密のP・O・P、秘密の謄写版刷は、東京の暗《やみ》から暗《やみ》へ、恰《あたか》も独逸《ドイツ》の紙幣のように波を打ちまわっている。その価格も震災前の半分内外だという。
 このような商売をするものは、震災後、その筋の調《しらべ》の行届かぬのに乗じて非常に沢山出来たらしく、その商品は一時東京市中に生産過剰を来たした。一方に、被服廠その他の死体写真の秘密売買で呼吸を覚えた連中は、引続いてこの商売を引き受けたと伝えられ
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