京で出来る秘密画の最近傾向として、或る残忍な画題が喜ばれて来た事は、前記、活動の絵看板の赤ペンキと同様注目に価する。
例えば殷《いん》の紂王《ちゅうおう》、生蕃軍、玉藻前《たまものまえ》、○○侯等の暴虐の図、又は普通の美人や少年などに血をあしらった場面等の注文が次第に殖えて来た。
かようなデカダン傾向……それは単にこのような方面ばかりでない。東京市中の到る処にあらわれている。その中でも特に記者の注意を惹いたものが二つある。その一つは産児制限に関するパンフレットの流行である。
「最新式避姙法」の書物
マリーストーブとかブラングエンとかいう人々の著書の和訳、又は「性」という文字を標題に取入れた雑誌は、記者が街頭の書物屋で見ただけでも十種近くある。これ等は皆、○○や××、又は……をあしらったもの、又は医学上の説明にかたどった肉体、又は精神の解剖説明書である。いずれも辛うじてその筋の許可を得たものらしく見える。
しかし、ここに取り立てて云うのは、こんな出版物ではない。謄写版、もしくは旧活字の、しかも滅字同様のもので、誤植だらけにきたならしく印刷されたもので、如何にも秘密出版物らしく装うたものである。
その一例を挙げると、標題には、
「最新式避姙法」
とあって、内容を見るとラード博士、バックスター博士、バスレー博士、メシンガ博士、レンデル氏、サンガー夫人等いう大家? の避姙法が詳細に比較研究されてある。その筆者は原著者たる「満鉄社人事課××氏」の名を掲げ、その原本が大正十年中発売禁止となった事を述べた上、次の如き意見を付け加えている。
「これ位のものは外国では公然と出版されているのであるが、遺憾ながら日本では文化程度が低いから、これを秘密出版としなければならぬ。そもそも産児制限なるものは、法律上文化的の生活が許されたる智識階級の……」云々。
この書物は某教育家が記者に見せてくれたのであった。某氏は海軍出身で、退職後、軍隊、船舶、監獄等の性的衛生に就《つい》て研究し一家を成している人である。
氏は次のような事を記者に云った。
近代文化と民族的自滅
「この種の性的秘密出版物を見ると、いずれもその筆者が立派な高等教育を受けた人間である事がわかる。このような表面上高尚で、実は恐ろしく愚劣な仕事を敢てする勇気と知恵とを持っているものは、必ず高等教育を受けた人間である。高等教育を受ければ受ける程、良心が鈍くなるとも云える。これが近代文明の特徴である事を、私は経験上明言し得る。そうして今の東京の文化の裡面には、この傾向が日一日と濃厚になって行く。誠に遺憾である。たとえばこの書物『最新式避姙法』の文中にある、文化程度という言葉の意義なぞは頗《すこぶ》る可笑《おか》しいではないか。文化程度が高くなればなる程産児制限が公行するものとすれば、最高の文化は民族の自滅を意味する事になる。その事実は決して些《すくな》くない。元来、日光と土とは最大の享楽である。生命は最高の富源である。その民族の文化の第一義は、この富源を尊重するところにある。同時にその民族の教育の第一義は、その民族の生活を出来るだけ土と日光とに親しませる事にある。軍隊、船舶、刑務所、礦山、工場等の生活に対しては、今少しこのような注意が払ってもらいたい。現代の文化は人間に土と日光を軽蔑させるようにばかり仕向けている。そのために変態性欲なぞが流行するようになる。又、近代の文明は高価な生活を要求するようにばかり人間を教育している。そのために産児制限なぞがはやるのだ。文化が自滅を意味する事になるのだ。日光と土に親しい文化、農民やプロの文化、都会以外の地方的文化、これ等が発達しなければ、日本の文化は日本の自滅を意味する事になる。東京の裡面にこのような出版物が横行するのは、日本の前途のためにどうあろうか」云々。
[#改ページ]
上流社会
秘密フイルムの流行
震災後の東京の荒れ野原に、真っ先に興行物の色旗を翻えしたのは、浅草の活動写真十三館である。市内外各所の活動写真館は続いてイルミネーションを付けた。
この勢《いきおい》につれて東京市内外の到る処に小さな撮影所が出来た。
どんな仕事をするかというと、たとえば多摩川で情死があったと新聞に出る。直ぐに俳優を連れて現場に出張し、その新聞記事を脚本としてそのような場面を撮影し、活動小屋に売りつける。又は広告や宣伝用のフイルムの請負い、家庭の子供向き短尺物なぞを作る。その他いろんな事をしている。
彼等の中には或る種のフイルムを作って大金儲けをしているのがある。否、このような小撮影所ばかりでない。現在日本で片手の指で数えられている大会社の重役で、これをやっているのがある。
東京郊外にある自宅の
前へ
次へ
全66ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング