天井を打ち抜いて、小さな撮影所《セット》を設ける。これに強力な電気を盗用して、その素晴らしく儲かるフイルムを作る。
そのフイルムとは秘密映画の事である。
映画室兼用の寝室
秘密フイルムの場面の大抵は「間男」で、怪しい役者と女優? が演ずる。実にタワイもないものであるが、出来上ると「家庭教育フイルム」とか何とか真面目な名前をつけてブローカーの手に渡す。もしくは、自分の配下か又は自身に「○○活動写真会」なぞいうものを組織して、映写して廻らせる。
お花客《とくい》は常に上流の家庭である。だから料金はいつも高価である。外国にあるという、興行的な料金を取るものがどこかで秘密にやっていはしまいかと注意して見たが、これは気が付かなかった。当局でも当業者も、無論そんなものはまだあるまいと云った。
結局、日本では上流の家庭ばかりという事になる。
「近頃の富豪の家には映画室を兼ねた寝室だの書斎だのがありますよ。外国では普通だそうですが……」
と或るフイルム仲買人は笑って云った。(後に出る変態性欲用具の項参照)
こうした上流の人士が民心の頽廃を嘆いて、吾が児の活動見物を差し止めるのかと思うと可笑しい。
押収フイルムの公開
震災前、このようなフイルムに対する当局の取締がちょっと厳重になった事がある。但《ただし》、ことがある[#「ことがある」に傍点]だけで、結局、製造の手段が以前よりも巧妙になっただけに止まった。
現在東京で流行しているこの種のフイルムの中には、舶来物もあるにはあるが僅《わずか》らしい。十中八九和製と見ていい程に製造が盛である。ほかのものと違って密輸入が六ヶしいというような関係があるのかも知れぬ。
警視庁にはこの種のフイルムの押収したのを沢山溜めている。それを昨年の夏、或る特別な人々に限って映じて見せたそうである。特別な人とは映画関係業者、教育関係者、映画関係係官の中から撰まれた少数の人々で、参考のためとも、見せしめのためとも、又は御愛嬌とも考えられた。
場所は警視庁の検閲室で、次から次へ映写される場面はいずれも型の如きものであった。何等芸術的の価値あるものでなかったが、官吏も商売人も昂奮の極情欲なぞは少しも起らなかった。只悽愴たる感じにのみ打たれた。
済んで室を出てから笑う者などは一人も無かった。血色のある者も一人も無かった。皆青白く唇を噛んで、眼が血走って、まるで地獄の責苦から逃れた人のように生汗を流していた。挑発も度を過すと、却《かえ》ってその情を圧迫して萎縮させてしまうものだとその中の一人は云った。
尚、右に就いて一人の官吏はこんな話をした。
検閲係官の苦痛
「世間ではよく小説や何かの検閲係の役人が、只文句ばかりに拘泥して禁止をする。裏面の意味は却って見逃す事が多いために、いろんな不公平が起る。つまり検閲官に頭がないからだと云う人があります。この不平は尤《もっと》も千万ですが、一方に又止むを得ない事情があります。どんな頭のある人でも毎日毎日変な文字や絵を見ていると、頭がすっかり麻痺してしまって、どこを取締っていいかわからなくなります。文章の裏面からどんな非道《ひど》い意味を発見しても、ちっともわるいと感じなくなります。自宅へ帰ってから、又は旅行して平生の常識に立ち帰ってから……ああ、あすこはヒドかったなと気が付くような事が屡《しばしば》あります。そんな風ですから、毎日検閲をしていると、勢《いきおい》文字や文句ばかりによって禁止をしなければ、ほかに見当のつけようがないような頭になります。その上に忙しいと来たらなおの事です。書いた人間に依って、あまり非道くないものでも禁止するというような傾きがあるのも、こうした原因から来るものと思われます。何しろ一冊の本を押えるという事は相手にとって大打撃で、どんなに公平にしても不平は必ず出るものですから、その苦心といったら大変です。この点は大いに同情してもらわないと遣り切れませんよ」云々。
美しい顔、拙い技巧
東京人のうち上流に位する人々の堕落は、このほか各種の方面に証拠立てられている。そうしてその堕落の最近の原因を尋ねると必ず彼《か》の大震災に結び付く。彼の大震災は東京人の堕落を深むべく一新紀元を画したものと云い得る。
東京人のプロ階級で震災後生活のために堕落したものは非常に多い。そしてこれを堕落すべく誘惑したものの大部分はブル階級と見られる。
東京の上流人士は震災後の血迷った、混乱した人心につけ込んだ。あらゆる手段であらゆる異性を堕落さした。彼等が金や権力を持っている事その事が既に誘惑そのものであった。
記者は社会主義者ではない。今の世の中で金や権力を持つ事を罪悪とは思わぬ。しかしこのような実例をあまりに多
前へ
次へ
全66ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング