探偵小説の真使命
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)曾《かつ》ての

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)その各文科|毎《ごと》に、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)従来の心理[#「心理」に傍点]描写は
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 探偵小説が下火になって来た。曾《かつ》ての勃興当時、作者と読者とが熱狂して薪を投じ油を注いだ炬火《たいまつ》は、今や冷めたい灰になりかかっている。
 曾ての自然主義文芸がそうであったように……。
 自由民権思想がそうであったように……。
 人類の趣味傾向が、かくして遂にドン底を突いてしまったのだ。
 明治維新以来、西洋文化の輸入に影響されて日本人の趣味が急劇に低下して来た。以前から忌避し軽蔑されていた肉慾描写や、不倫の世相が、自然主義の輸入以来逆照され初めた。人間が不合理視され、禽獣道が合理視されるようになった。それは、たしかに新しい傾向であった。
 ところが明治末期から大正以降に於ける探偵小説の流行は、そうした傾向を更に低級化し、深刻化した。モット尖鋭な肉慾や露骨な犯罪心理に深入りする趣味を、日本人に逆照して見せた。そうしてその逆照手段が本格、変格のあらゆる角度に向って急速に分析され、分科され、単純化され、平凡化されていく中《うち》に、その各分科|毎《ごと》に専門的に行詰まり、飽きられ、軽視され、忘却されて行きつつある。

 探偵小説はだから、今やその最後の牙城に逃込みつつある。……曰《いわ》く……
 探偵小説の真価値は、そのトリックに在る。謎々の興味に懸《かか》っている。そうした興味によって読者を最後まで引っぱって行ってから、これに意外な解決と満足を与えるのが、探偵小説の唯一無上の神聖な本領である。だから、探偵小説は生命、貞操、金銭、宝石、紙片なぞいう人間の欲しがり騒ぎまわるところの最低級、浅劣なシロモノを、そのトリック、謎々の核心として、全篇の興味を織出して行かねばならぬ。
 だから探偵小説は芸術であってはならない。
 エロ、グロ、ノンセンス、ユウモア等の謎々以外の風味を含ませるのは探偵小説の邪道、堕落道である。冒険、神秘、怪奇、変態心理、等々々の名を冠らせ得る小説は、探偵小説界の外道、寄生虫でしか在り得ない。そんなものは皆、この真の探偵小説界の非常時に際して、変格の名の下に、強烈な下剤を以て探偵小説界から駆除されなければならないのだ。
 探偵小説はどこまでも探偵小説として、ストーリー本位の使命を守って行かねばならない。単なる謎々の筋書のみを守って行く所謂本格に生きて行かねばならないのだ。
 しかもその本格モノを書ける作者は現在の日本に極く少数しか居ない。のみならずその少数者は結局「一人二役」「探偵即犯人」「偽アリバイ」等々の極めて少数トリックが存在し得るだけの数だけしか探偵小説は書けない事に理論上なっている。その水の手の切れた、敵から案内を知り抜かれている、狭い、窮屈な牙城に一人か二人しか居ない探偵小説家は立籠《たてこも》ろうとしているのだ。そうしてその外廓をウロウロしている変格の二股武士に向って大きな声で宣告しつつ在る。
「本格以外のものは探偵小説ではないぞ」
 ……と……。大勢の二股武士、変格探偵小説家の群れは、これに対して一言も答え得ない。……たしかにその通りである……同時に絶対にソンナ事はないぞ……という言葉を口の中で戸惑いさせつつ、ヒッソリと静まり返って、相も変らず水の手の豊富な外廓をウロウロしている。
 だから日本の探偵小説界は現在、物の見事に行詰まっている。孤城落日である。
 仏も仏教の教義が、日本人の頭脳によって急速に分析されて、あまりにも種々の宗派を分岐し、あまりにも方便化され、単純化された結果、遂に今日の如き堕落、行詰まり時代を招致したように……等々々……。

 以上のような諸現象を毎日毎日目に見、耳に聴いて来た吾々探偵小説ファンは、思わずタメ息せざるを得ない。探偵、猟奇小説界に於ける一切の新人も、思わず識《し》らずタメ息し、萎縮し、躊躇し死因化しないではいられないであろう。しかし筆者は格別驚きもせず、心配もしていない。それは中学程度の教養しか持たないせいかも知れない。又は中央文壇の荘厳から遠く離れた山の中に退化生活を営んでいるせいかも知れない。のみならず井底の蛙かもしくは盲《めくら》、蛇に怖《お》じずの類であろう。こうした大勢に対して死に物狂いの反撃をしてみたくなった。声ばかりでもいい、「探偵小説は行詰まっていない」と絶叫してみたくなった。
 新しい人々の自由奔放な大暴れが期待したくなった。笑われてもいい。憎まれても構わない。それが探偵小説界のためだと思い込んでしまった。筆者は敢えて云う。

 所謂、本格
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