探偵小説なるものは探偵小説の原始的な型を伝統している純粋種である。今から百年か二百年か前に流行していた、あらゆる種類の文芸の中から進化し生れた、より新しい、より深い、より痛い文芸である。一切の芸術の伝統精神と形式から離脱して、人間の心理を今一層深く、アケスケに抉《えぐ》り付け、分析し、劇薬化、毒薬化し、更に進んで原子化し、電子化までして行くために生れた芸術界の鬼ッ子である。芸術の守護神を冒涜する事を専門とする反逆芸術である。昔の芸術は、衣裳美の歎美を以て能事終れりとした。それが更に進んでその衣裳を剥《は》ぎ取った肉体美の鑑賞を事とする近代芸術にまで進化した。それが更に進んで、その肉体を切開き、臓腑を引出し、骸骨を漂白し、血液から糞尿まで分析して、その怪奇美、醜悪美に戦慄しようとするところにこの探偵小説の使命が生まれた。
 今までの芸術は望遠鏡か、写真機か、又は顕微鏡のレンズでしかなかった。単に焦点を作るのが、その使命であった。
 これに反して探偵小説の使命は三稜鏡で旧式芸術で焦点作られた太陽の白光を冒涜し、嘲笑し、分析して七色にして見せる尖端芸術である。従来の心理[#「心理」に傍点]描写は平凡な心理[#「心理」に傍点]描写に過ぎなかった。だから将来の心理[#「心理」に傍点]描写こそは真実な心理[#「心理」に傍点]そのものの解析、綜合でなければならぬ。

 こうした趣味、傾向に人類を導くために、曾ての探偵小説は従来の芸術が金科玉条として死守して来た美学上の諸条件を悉《ことごと》く放棄し、一蹴した。その代りに芸術と自称するのも恥かしい浅劣、低級な謎々の魅力を以て大衆の注意を惹付《ひきつ》けた。そうして古来、人類が作って来た各種の文化の中でも、最も醜悪低劣なこの科学文明の内容を人々が反省し初めるに連れて、グングンと進化し分化し初めた。あらゆる変格的な新様式を繁殖さして、大衆の心理の隅々にまで喰込んで行った。鶏や、豚や、林檎や、ダリヤが、その純粋種から進化して、その時代時代の趣味文化を象徴し、代表しつつ、次第次第に複雑極端になって行ったように……。そうしてその純粋種の価値を人々に忘れさせて行ったように……。

 だから云う。純粋種は実に尊い、有難いものである。吾々は純粋種の味を時々回想してみる必要がある。
 しかし正直のところ今となっては純粋種はあまり美しいものでも美味《うま》いものでもない。その繊維は余りに固く、その味はあまりにも単一で古めかしい。本格探偵小説の真価は、もはや古典的なものになってしまっている。その謎々の使命も既に、古来の所謂、文芸から大衆の興味を奪い去った時に終ってしまっている。そのトリック、謎々の真価値は大英博物館にでも納めなければ光らなくなってしまっている。
 だから云う。馬来《マライ》半島に残存している野鶏だけがホントウの鶏である。その他のブラマ、オーピングトン、アンダラシャン、ブリモースロック、ミルカ、コーチン、レグホンの類は鶏でない。水炊《みずたき》にもスキ焼にもチキンライスにもロースチキンにしてもいけない。同じ金網の中で同じ餌を遣ってはならぬ……という宣言に対して、羅馬《ローマ》法皇に対する新教徒のような萎縮や、絶望を新人諸君が感ずる必要は毛頭ない。

 鶏の人類に対する真実の使命はその変種に在る。食用鶏は卵が少く、採卵用鶏は肉が美味《うま》くない。それでいいのだ。
 同様に探偵小説の真の使命は、その変格に在る。謎々もトリックも、名探偵も名犯人も不必要なら捨ててよろしい。神秘、怪奇、冒険、変態心理、等々々の何でもよろしい。吾々はもはや太陽の白光だけでは満足し得ないのだ。スペクトルの七色光だけでも既に満足し得なくなっているのだ。紫外、赤外線は勿論のこと、その中に横たわる暗黒線の内容までも分析して、何かしら戦慄的な、絶大恐るべき毒線を作る原素の潜在を確保しなければ、良心的に生き甲斐を感じなくなっているのだ。どこまでも探偵し、暴露して行かなければ本能的に満足が出来なくなっているのだ。

 探偵小説の使命はこれからである。
 全世界はまだまだそうした探偵小説の処女地である。何でもない暑中見舞のペン字の曲り目から、必死的な殺人の呪いが分析され、新しいハンカチの折目から持主の不倫行為の現場が映写し現わされ得る筈だ。
 この無良心、無恥な、唯物功利道徳の世界は到る処に探偵趣味のスパークが生む、新しい芸術のオゾン臭が、生々しく蒸《む》れ返っている筈だ。

 新人よ、疑懼《ぎく》し躊躇する事は絶対にない。
 日本民族の趣味は確実に、敏速に低下して行きつつ在る。肉慾から犯罪へ――文芸趣味から探偵趣味へ――唯物科学から、唯心分析へ――良心から――無良心へ――。

 だからコンナ風にも考えられるようである。
 探偵小説は、良心の
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