戦慄を味《あじわ》う小説である。あらゆる傲慢な、功利道徳、科学文化の外観を掻き破って、そのドン底に恐れ藻掻《もが》いている昆虫のような人間性――在るか無いかわからない良心を絶大の恐怖に暴露して行く。その痛快味、深刻味、悽惨味を心ゆくまで玩味させる読物ではないか。だから探偵小説は人類が唯物文化から唯心文化へ転向して行く過渡時代の、痛々しい内省心理の産物ではないか。そうして現代の探偵小説がそこまで徹底し得ず、吾々が又、そこまで突込《つっこ》み得ていないために、探偵小説の本来の使命を見失い、どうしていいか解からないまま間誤間誤《まごまご》しているだけの話ではないか……と……。

 最後に探偵小説が文芸であるかドウカは責任を負う限りでない。或《あるい》は香水の化学方程式みたようなものかも知れぬ。又は美人のレントゲン写真に類する者かも知れぬ。
 だから題材の選択は無限の自由さを持っている筈である。だからその選択者の個性が、極端に深刻、強烈に出る筈である。
 それでいい……それだけでいいのだ。



底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:小林徹
2001年8月8日公開
2006年3月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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