シイン……」
 と云う女将《おかみ》らしい声がして、コック部屋兼帳場の入口の浅黄色の垂幕の蔭から、色の青黒い、眦《まなじり》の釣上った、ヒステリの妖怪《おばけ》じみた年増女の顔が覗いたと思うと、茫然として突立ている吾輩とピッタリ視線を合わせた。
「アラッ……先生じゃ御座いませんの……まあ……お珍らしい……よくまあ」
 と云ううちに浅黄色の垂幕を紮《から》げて出て来た。生々しい青大将色の琉球|飛白《がすり》を素肌に着て、洗い髪の櫛巻《くしまき》に、女たちと同じ麻裏の上草履《うわぞうり》を穿《は》いている。コンナ粋な女に識合いはない筈だがと、吾輩が首をひねっているにも拘《かか》わらず、女将は狃《な》れ狃れしく近寄って来て、溢《あふ》るるばかりの愛嬌を滴《したた》らしながら椅子をすすめた。

     拳骨辻占

「まあ……どうも飛んだ失礼を致しまして……場所慣れない若いものばかりなもんですから……お見外《みそ》れ申しまして……さあどうぞ……ほんとにお久し振りでしたわねえ。御無沙汰ばかり……」
「馬……馬鹿云え。お珍らしいって俺あ初めてだぞ。お前みたいな人間には生れない前から御無沙汰つづきな
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