でくれ。左様《さよう》なら……」
吾輩は一人で喋舌《しゃべ》りながら慌てて帽子を冠って、長靴を穿《は》いて玄関を飛出した。往来に出て真青な空を仰ぐとホッとした。「アハハハハ……」と思わず一人で高笑いした。冗談じゃない、テル子嬢の母親を殺し、父親を未決監にブチ込んだ人間は誰でもない、この吾輩という事になっているらしい。直接に殺さなくとも責任は十分こっちにあるらしい。母親の云う事はテンヤワンヤのゴチャゴチャだらけであるが、それでも吾輩の笑い顔だけはハッキリと記憶に残して死んでいるらしいのだから頗《すこぶ》る気味が悪い。しかも女というものは、思い違いでも何でも構わない、一度そんな風に思い込んでしまうと、アトでいくら間違っていることが判明《わか》っても決して素直に承認する動物でない。女に思い込まれたのと、暴力団に附け狙われたのと、新聞に書かれたのと、スッポンに喰い付かれたのとは、如何なる場合でも運の尽きである。ありもしない事を勝手に口惜しがって死んだ場合でも、遠慮なく閻魔《えんま》大王から幽霊の鑑札を受けて娑婆《しゃば》に引返して来る位の決心を、女というものはフンダンに持っているのだから厄介
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