頭を上げて見ると伯爵は安楽椅子から立上って、吾輩を真白な眼で睨み付けている。露国の蔵相、兼、外相ウイッテ伯を縮み上らせた眼だ。しかし吾輩は、わざと哄笑してみせた。
「アハハハ、私は鬚野房吉というルンペンです」
「……ナ……何だルンペンとは……」
「ルンペンというのは独逸《ドイツ》語です。独逸語で襤褸《ぼろ》の事をルンペンというところから、身なりとか根性とかがボロボロに落ちぶれた奴の事をルンペンというようになったのです。御存じありませんか。日本にも勲章を下げて、立派な家《うち》に住まったルンペンが、イクラでも居りますよ」
伯爵は立腹の余り口が利けなくなったらしい。葉巻をガチガチと噛んで、鬚をビクビク震わせている。
吾輩は、すこし気の毒になったから、心持ち言葉を柔《やわら》げた。
「伯爵閣下、実は今日お伺い致しました理由は、ほかでは御座いません。御令息の唖川歌夫君の事についてです」
「黙れっ……黙れっ……吾輩の家庭の内事は吾輩が決定する。貴様等如きの世話は受けんッ……」
吾輩はここに到ってカンシャク玉が破裂した。この老爺《おやじ》は外交問題と家庭の内事をゴッチャにしている。ドンナ豪《
前へ
次へ
全131ページ中119ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング