一本の毛が恐ろしく、逆立ちが出来ないとは云えないからスッカリ赤面してしまった。
「何でチウ事もあらへんけんど……アレ位のこと……アンマリ見易《みやす》うて見物に受けよらんけに、止めとうなったんや」
「馬鹿奴《ばかめ》え。何を吐《こ》きくさる。ワレのような小僧に何がわかるか。あの逆立ちは芸当の小手調べチウて、芝居で云うたらアヤツリ三番叟《さんばそう》や。軽業の礼式みたようなもんやけに、ほかの芸当は止めてもアレだけは止める事はならん。それともこの禿頭が気に入らん云うのか」
 と云ううちにオヤジは渋臭い禿頭を吾輩の鼻の先に突付けて平手でツルリと撫でて見せた。それにつれて頭の上の黒い毛がピインと跳ね返って吾輩の鼻の頭に尖端を向けた。トタンに吾輩の全身がズウーンとして、お尻の割れ目がゾクゾクと鳥肌だって来た。
 吾輩は、思わずその禿頭を平手で押除《おしの》けた……と思ったが、気が付いた時には、楽屋の荒板の上に横たおしにタタキ付けられていた。アトから考えると親方の虫の居処《いどころ》がその日に限って日本一悪かったらしいね。
 それから間もなく二人は、満場の喝采を浴びて見物の前に跳り出た。むろんその
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