時はタッタ今の経緯《いきさつ》も何も忘れて、僅かの時間、親方の頭の上で辛抱する気になっていたもんだが、その中《うち》に例の通り、禿頭の上で逆立ちをしてみると……妙だったね。
 その時の気持ばっかりは今から考えてもわからないんだが、アレが魔が差したとでもいうもんだろうかね。ツイ自分の鼻の先に突立っている毛の尖端《さき》を見ると、自分では毛頭ソンナ気じゃないのに、両手がジリジリと縮んで、赤茶色の禿頭肌《はげはだ》が吾輩の唇に接近して来た。そうして、やはり何の気もなく、その禿《はげ》のマン中の黒い毛を糸切歯の間にシッカリと挟んでグイと引抜いたもんだ。
「ギャアッ……ヤラレタッ……」
 と云う悲鳴がどこからか聞こえたように思ったが、全く夢うつつだったね。吾輩の小さな身体が禿頭の上から一間ばかり鞠《まり》のようにケシ飛んで、板張の上に転がっていた。ビックリして跳ね起きてみると、直ぐ眼の前のステージの上に、木乃伊《ミイラ》の親方がステキもない長大な大の字を描いて、眼を真白く剥《む》き出したまま伸びている。ゴロゴロと喘鳴《ぜんめい》を起していたところから考え合わせるとあの時がモウ断末魔らしかったんだ
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