ったもんだ。
 見たまえ。この通りマントの袖の内側全部が袋になっている。これは吾輩が自身にボロ布《ぎれ》を拾って来て縫付けたもので、このポケットは木綿の手織縞《ておりじま》だ。こっちの大きいのは南洋|更紗《さらさ》の風呂敷で、こっちのは縮緬《ちりめん》だから二枚重ねて在る。これが吾輩独特のルンペン犬の移動アパートなんだ。
 このアパート・マントを一着に及んで、これもこの通り天井に空気|抜《ぬき》の付いた流行色の山高帽を冠《かむ》って、片チンバのゴム長靴を穿《は》いてブラリブラリと市中を横行していたら、いい加減時代|後《おく》れの蘭法《らんぽう》医師ぐらいには見えるだろう。ナニ、モット恐ろしい人間に見える。
 フーム。天幕《テント》を質に置いたカリガリ博士。書斎を持たないファウストか。アハハ。ナカナカ君は見立てが巧いな。吾輩を魔法使いと見たところが感心だ。
 いかにも吾輩が犬を拾う時の腕前は、たしかに魔法だね。到る処の往来にチョコチョコしている仔犬だの、前脚に顎《あご》を乗っけて眠っている犬なぞを、通っている人間が気付かない中《うち》にサッと引掴んで、電光石火の如くこのマントの内側の袋アパートへ掴み込むんだ。
 知っているかも知れないが犬の首ッ玉を掴むには一つの秘伝があるんだ。これは熟練すると何でもないがね。犬の首ッ玉の耳の背後《うしろ》よりも少し下った処……八釜《やかま》しく云うと七個《ななつ》在る頸骨《けいこつ》の上から三つ目ぐらいの処をチョイト抓《つま》むと、ドンナ猛犬でも頭がジインとなって、この人にはトテモ敵《かな》わない。絶対服従といったような気分になるらしいね。眼を細くしてチョイと麻酔したような恰好《かっこう》で、気持よさそうに手足をダラリと垂れる。心安いブルドッグか何かを相手にして実験してみたまえ。殊に医学の実験用に使う犬だったら、そんなに大きな犬でなくて良《い》いのだから訳はないよ。そこを抓むと気持がいいと見えて、啼きもどうもしないからね。
 ところでこのアパートへ這入《はい》ると別に看板をかけている訳ではないが、長い間の老舗《しにせ》の臭いがするらしく、犬の奴が安心すると見えてワンとも云わないでジッとしている。仔犬なんかだと、別れたお母さんの臭いでもするんだろう。クンクン啼出《なきだ》す事もあるが決して出て行こうとしないから安心だ。電車に乗っても発覚しない事が実験済みなんだから平気なもんだよ。
 そんな訳で町から町をブラブラして手に入れた犬を大学や医学校へ持って行くと、博士の卵が待ちかねていて、一匹八十銭から二円五十銭ぐらいで買ってくれる。平均すると衛生学部が一番高価くて、生理や解剖が一番安いようだ。これは衛生学部だと狂犬病の実験に供して、高価《たか》い予防注射液を作る資本にするから、割に合うので、生理や解剖だと切積《きりつも》った研究費で博士になろうと思っている筍《たけのこ》連中が、単なる使い棄てに使うつもりだからだろう。勿論、学生上りだからといったって馬鹿には出来ない。相当、足元を見る奴が居るので油断が成らないが、非道《ひど》い奴になると吾輩を乞食扱いにして値切る奴が居る。
「オイ、鬚野《ひげの》先生。三十銭に負けとき給え、ドウセ無料《ただ》で拾って来たんだろう」
 そんな奴には、よく犬コロをタタキ附けてやったもんだ。横面《よこっつら》を引っ掻かれたり、眼鏡を飛ばされたりして泣面《なきっつら》になって謝罪《あやま》る奴も居た。
「篦棒《べらぼう》めえ。無代《ただ》で呉れてやるから無代で博士になれ。その代り開業してから診察料を取ったら承知しねえぞ」

     天狗猿教授

 ……どうしてソンナ奇抜な商売を思い付いたかって云うのか。ナアニ、吾輩が発明したんじゃない。向うから発明してくれたんだ。
 前にも話した通り吾輩は、パトロンの有閑未亡人|亜黎子《ありこ》さんの爆発昇天後、世の中が紐《ひも》の切れた越中褌《えっちゅうふんどし》みたいにズッコケてしまって何をするのもイヤになった。毎日毎日どこを当てどもなく町中をブラブラして、料理屋のハキダメを覗きまわったり、河岸縁《かしっぷち》の蟹《かに》と喧嘩したり、子供の喧嘩を仲裁したり、溝《どぶ》に落ちたトラックを抱え上げてやったりしているうちに或日の事、大学校の構内へ迷い込んだ。吾輩これでも亜黎子未亡人のお蔭で、世界有数の大学者になっているんだから、学問の臭いを嗅《か》ぐとなつかしい。どこかで学者らしい奴にめぐり会わないかなあ、会ったら一つ凹《へこ》ましてやりたいがなあ……なんかと考えながら来るともなく法医学部の裏手に来ると、紫陽花《あじさい》の鉢を置いた窓から吾輩を呼び止めた奴がある。
「オイ君君……君……ちょっと……」
 見ると相当の老人だ。顔が天狗猿《てんぐざる
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