一つお尋ねしておきたいことがあるがな」
「ハイ。何なりと……」
「そのアンタの母さんが自動車でお怪我《けが》をしなさった時の模様が、聞いておきたいのじゃが」
「それが、よくわからないので御座います。母はただ口惜しい口惜しいと申しましてキチガイのように泣いてばかりおりまして……母は元来、非道《ひど》いヒステリーで御座いまして、お医者様から外出を停められていたので御座いますが、ちょうど一月ばかり前のこと、あんまり屋内《うち》にばかり引っ込んでいてはいけないからと申しまして、セパードを連れて散歩に出かけますと間もなく、顔のマン中へ脱脂綿と油紙を山のように貼り付けて帰って参りましたのでビックリ致しました。何でもゴーストップが開《あ》いたので、犬を引いたまま横断歩道に出ようとすると、横合いから待ち構えていたらしい箱自動車が出て来て妾《わたし》を突飛ばした。その自動車の中から髯だらけの怖い顔をした紳士が降りて来て、気味の悪い顔でニタニタ笑いながら、私を診察しいしい、まわりを取巻いている見物人をワイワイ笑わせていた。その隙《すき》に、その紳士が、妾のハンド・バッグの中味を検《あらた》めて大切な書類を攫《さら》って行ったものらしい。あの髯だらけのルンペンみたいな紳士が、きっと反対党の廻し者か何かだったに違いない。口惜しい口惜しいと云って寝床の中で身もだえをしておりますうちに、非道い発作が起りまして、『妾はコンナ非道い侮辱を受けた事はない。仇《かたき》を取って来るから』と云って駈け出しそうになりますので皆《みんな》して押え付けようとしましたが、どうしても静まりません。却《かえ》って非道くなってしまって、弓のようにそり反《かえ》りますので、そのまま神田の脳病院に入れて、寝台へ革のバンドで縛付けておきますと、その革のバンドを抜けようとして藻掻《もが》いた揚句《あげく》、どこかへ内出血を起して、その自家中毒とかで突然に……亡くなりまして……」
「成る程。どうもエライ騒ぎじゃったな。不幸ばかり重なって……」
「……ですから一層のこと歌夫さんがお懐かしくて仕様が御座いませんの。コンナ時にこそ居て下さると、どんなにか力になるでしょうと思いながら、それも出来ませんし」
「イヤ。わかったわかった。よくわかった。とにかく吾輩が引受けた。直ぐに今から活動を開始するじゃ。それではこれで帰ろう……いや構わん
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