博士になったら、お前の婿《むこ》として恥かしくないのみならず、彼の精神が実に見上げたものだ。
 第一唖川歌夫という奴は、外交官の癖に、親譲りの無口でブッキラボーで、刑事みたいな凄い眼付きをしているから、到底外交官なんかに向かない事が、わかり切っている。これに反して羽振菊蔵の方は弁舌が爽かで、男ぶりがよくて世間の常識に富んでいるから、俺みたいな年寄と話してもチットモ退屈させないから感心してしまう。だからお前も、いい加減に諦めて、羽振の方に婚約を切りかえろ、俺は一生懸命で、お前のためばかり思っているんだぞ……とか何とかいったような訳で、混凝土《コンクリート》氏は或る夕方のこと、涙を流さむばかりにしてテル子嬢の手を握っているうちに、突然に検事局に引っぱられて、そのまま未決へ放り込まれてしまった。そのアトは父の気に入りの津金勝平《つがねかつへい》という執事みたいな禿頭《とくとう》の老人と、親よりも誰よりも八釜《やかま》しい古参の家政婦で、八木節世《やぎせつよ》という中婆さんが、家《うち》中の事を切まわしているので、テル子嬢は全然手も足も出なくなっているという。
「唖川歌夫さんは、それっきりお手紙を一本も下さらず、お電話もおかけになりません。おかけになっているかも知れませんけど、電話はイツモ家政婦の八木さんか、津金爺さんが聞いてしまって、私には知らせませんし、お手紙だって私が見る前に二人して隠しているらしい様子ですから……あたし……情なくて……悲しくて……スッ……スッ……」
 吾輩はそういう令嬢の泣声を聞きながら茫然として相手のお合羽《かっぱ》頭を眺めていた。
「フーン。で、その犬がアンタの手に帰ったらアンタはどうするつもりかね。参考のために聞いておきたいのじゃが」
「だって、そうじゃ御座いません? その犬が居ないと歌夫さんに、直ぐ来て下さいってお手紙が上げられないじゃ御座いませんか。いつでも速達を上げると直ぐに飛んで来て下すったんですからね。そうしてお出《い》でになると直ぐに犬の事をお尋ねになるんですからね」

     ルンペン道

「イヤ。わかったわかった。よくわかった。なかなか困難な註文のようじゃが、やってみるかな一ツ……」
「あら……どうぞお願いしますわ」
 テル子嬢が立上った。振袖を床の上に引《ひき》ずってお辞儀をした。吾輩もやおら立上った。
「……しかし……もう
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