ある時は、お祭りの人ごみに立ちまじって、赤いゆもじの裾を染め、オモチャの笛をあわれみ詰まらせ、神木の肌を神さびさせ、仁王様の腕の古疵を疼き痛ませ、御神鏡の光を朧《おぼろ》にした上に、伏しおがむ人々の睫毛までも白々としばたたかせて、昔ながらの迷信をいよいよ薄黒く、つまらなく曇らせる。

 ガラ空の旅人宿の真昼間からペコペコ三味線の音が洩れ出して来る。その門口に並んだ鳳仙花が風もないのに乱れ落ちて、はかない紅白の花びらがあとからあとから土の中に消え込んでゆく。その行く人もない、長い、白い往来の途中から、思い出したように塵ホコリが立つ。続いて又一、二カ所……やがて往来一面の真白い塵ホコリが立ち上って、昔ながらの通りの屋根や柱を、一層、昔めいたものにしてしまう。
「新古御時計」と書いた看板の蔭に、怪しげな色の金銀細工、マガイ金剛石、猫目石、ルビー、サファイヤの類が、塵に蔽われたまま並んで光っている。その奥の暗がりの中で、幾個かのチックタックの音が、やはりホコリだらけの呼吸を断続させている。その片隅の壁の付け根に坐った蒼白い、痩せ細った禿頭が、軒先からためらい流れて来る長い長い昼さがりの片明りの中に、黒い拡大鏡を片眼に当てがいながら、チロチロとよろめく懐中時計のハラワタをいつまでもいつまでも透かし覗いているのが、やがてコッソリ瞳をあげて、明るい往来を望み見る。
 トタンに明るい往来一面にホコリが立つ。そのあとから乾燥し切った風が、黄色と黒のダンダラになって追いかけて行く。そのあとから白い紙キレや、藁屑や、提灯の底や、抜け毛の塊まりが、辷り転がって行く。それはちょうど普仏戦争のように、黄色い太陽の下を思い出し思い出し、追いつ追われつ、往きつ戻りつ、毎日毎日、日もすがら繰り返して止まぬ。そうして田舎の「時」を、どこまでもどこまでも無意味に、グングンと古び、白けさせて行く。
 そうして、やがて夜になると、そうした塵の大群は、われもわれもと大空に匐《は》い上って、都の光明を雲の上まで高く高く吸い上げて、夜もすがらの大火事を幻想させる一方に、愚かしい山々や森林の形を地平線上に浮き出させて、力ない、疲れ切った農民の眠りを見守らせているのだ。

 塵は無形の偶像だ。
「金銀も宝石も皆塵となる」
「喜びも悲しみも皆塵となる」
 と昔から言い伝えられている位だから……。
 なるほど宗教も道徳も
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