から何《どう》やら物を言いたそうな眼付きをして、あっし[#「あっし」に傍点]の方を見ておったように思いますがね。そいつを一方のチイチイって娘《やつ》が感付いて横槍を入れたものらしいんです。ヘエヘエ。その通りその通り。あっし[#「あっし」に傍点]の取り合いっこが始った訳なんで、ヘヘヘ。ヘエヘエ。大した色男になっちゃったんで……油をかけちゃいけません。ああ暑い暑い……イエイエ。モウ頂けやせん。ロレツが廻らなくなっちゃ困るんで……アトにモノスゴイ話がつながってるんでゲスから……ヘエ。

 ……というのはこのチイチイって奴が大変なものなんでげす。あとから聞いた話では支那人と伊太利《イタリ》人の混血娘《あいのこ》だったそうですが、とても素晴らしい別嬪でげしたよソレア。おまけにテエブルの六ツは愚か二十でも三十でも持って来て下さい。一人で捌《さば》いて見せるからナンテ大それた熱を吹きやがって、来る早々から仲間に憎まれておりましたがね。生やさしい女じゃ御座んせんでしたよ。
 そうですねえ。年はあれでも二十二三ぐらいでしたろうか、スッカリ若返りにしておりましたので一寸見《ちょっとみ》はフイ嬢《ちゃん》よりも可愛いくれえで、フイ嬢《ちゃん》とお揃いの前髪を垂らして両方の耳ッ朶《たぼ》に大きな真珠をブラ下げた娘《やつ》が、翡翠《ひすい》色の緞子《どんす》の服の間から、支那《チャンチャン》一流の焦《こ》げ付くような真紅の下着の裾をビラ付かせながらジロリと使う色眼の凄かったこと……流石《さすが》のあっし[#「あっし」に傍点]も一ぺんにダアとなっちゃったんで……流石の[#「流石の」に傍点]だけ余計かも知れませんが、誰だってアイツにぶつかったらタッタ一目のアタリ一発でげしょう。ハタからフイ嬢《ちゃん》がオロオロ気を揉んでいるようでしたが、そうなるとモウ問題じゃ御座んせん。
 その場でインキを二つ三つぶっ付け合うと……ヘエ……ウインクですか……どうも相すみません。亜米利加じゃインキの方が通りがいいんで……ツイうっかり、そのインキの方にきめちゃったんで……そいつに気が付くとフイ嬢《ちゃん》が慌てて卓子《テーブル》の向うからあっし[#「あっし」に傍点]に手を振って見せましたが、そうなったら夢中でゲスから気にも止めません。ただその時にフイ嬢《ちゃん》を振り返って睨み付けたチイ嬢《ちゃん》の眼付の怖しかった事ばっかりは今でも骨身にコタえて記憶《おぼ》えております。その睨みにぶつかったフイ嬢《ちゃん》が、真青になってフラフラとブッ倒おれそうになったんですからね。あっし[#「あっし」に傍点]もズット後《あと》になって、そのチイ嬢《ちゃん》の睨みの恐ろしい意味がわかってスッカリ震え上がっちゃったもんですがね。
 その晩のことです。あっし[#「あっし」に傍点]は台湾館の地下室で一緒に寝ているノスタレ爺に感づかれないようにソーッと起き出して、首尾よく台湾館を抜け出しちゃいました。それから約束通り噴水の横でチイ嬢《ちゃん》に会って、演芸館の裏で夜間出勤のサンドウィチマンを二人買収して、チイ嬢《ちゃん》と二人で薄い布張りの四角い箱の中に這入って、入口の看守にテケツだけ見せて会場を抜け出しました。アトから考《かんげ》えるとあっし[#「あっし」に傍点]ゃこの時にいい二本棒に見立てられていたんですなあ。節劇《ふしげき》の文句じゃ御座んせんが「殺されるとは露《つゆ》知らず」でゲス。屠所《としょ》の羊どころじゃねえ。大喜びで腸詰《ソーセージ》になりに行ったんですからね。
 博覧会の会場を出るともう、カイモク西だか東だかわからねえ聖路易《セントルイス》の町つづきでさあ。イルミネーションの海の底を続きつながって流れて行く馬車と電車の洪水でサ。その頃はまだ亜米利加にも円タクなんてもの[#「もの」に傍点]が無かったんですからね。
 あっし[#「あっし」に傍点]の先に立ったチイ嬢《ちゃん》は、一町ばかり行った処の薄暗い町角に在るポストの下で立停《たちど》まりましたから、あっし[#「あっし」に傍点]もその横で立停まって巻煙草に火を点《つ》けました。すると間もなく白い馬を二頭附けた立派な馬車が来て、ポストの前に止まりましたが、それを見るとチイ嬢《ちゃん》はイキナリ広告《サンドイチ》の服を脱いで地面《じべた》に放り出して、その馬車に飛乗って手招きするんです。ですからあっし[#「あっし」に傍点]も慌てて女の真似をして馬車に飛乗るトタンに、前後左右のスクリンを卸《おろ》したチイ嬢《ちゃん》があっし[#「あっし」に傍点]の首ッ玉にカジり付いてチュウッ……ヘヘヘ……どうも相すみません。ここがヤッパリその本筋なんで……このチュッてえ奴が腸詰《ソーセージ》の材料《タネ》に合格の紫《アニリン》スタムプみてえなチューだったんで……実際眼が眩《くら》んじまいましたよマッタク。いい芳香《におい》が臓腑《はらわた》のドン底まで泌《し》み渡りましたよ。そうなると香水だか肌の香《におい》だか解かれあしません。おまけにハッキリした日本語で、
「まあ……よく来てくれたねえ、アンタ」
 と来たもんです。
 トタンに前後の考えなんか、笠の台と一緒にどっかへふッ飛んじゃいましたね、キチガイが焼酎《しょうちゅう》を飲んで火事見舞に来たようなアンバイなんで……暫くして女がスクリンを上げてから気が付いてみると、その馬車の走り方のスゴイのにチョット驚きましたよ。ほかの馬車をグングン抜いて行くので、金ピカ服の交通巡査が何度も何度も向うから近付いて来て手を揚げて制止《とめ》にかかったようでしたが、私等《あっしら》の馬車に乗っている黒い頬鬚《ほおひげ》を生《はや》した絹帽《シルクハット》の馭者がチョット鞭《むち》を揚げて合図みたいな真似をすると、どの巡査もどの巡査も直ぐにクルリと向うを向いて行っちまったんです。
 それが右へ曲っても左に曲っても、どこまで行ってもどこまで行ってもそうなんですから、あっし[#「あっし」に傍点]はだんだん不思議になって来ましたが、アトから聞いてみると無理もない話です。その馭者というのが旦那様……聖路易《セントルイス》切ってのギャングの大親分で、カント・デックてえ凄い奴だったそうです。聖路易《セントルイス》の町中の巡査はミンナこのデックの乾分《こぶん》みてえなものだったってえんですから豪勢なもんで……しかも一緒に乗っている支那娘のチイ嬢《ちゃん》と、もう一人のフイ嬢《ちゃん》とは揃いも揃ってこのカント・デックの妾《めかけ》だって事がそんな時のあっし[#「あっし」に傍点]にわかったら、そのまんま目を眩《まわ》しちゃったかも知れませんね。地球が丸いどころの騒ぎじゃ御座んせんからね。
 それでなくとも何だか少々、薄ッ気味が悪くなりかけているところへ馬車が止って、一軒の立派な明るい店の前に着きました。チイ嬢《ちゃん》はそこであっし[#「あっし」に傍点]のキタネエ首根ッ子に今一つキッスをしますと、あっし[#「あっし」に傍点]の手を引きながらその店の中に這入って行きましたが、それは大きなレコード屋だったんですね。スバラシイ花輪や流行児《はやりっこ》の歌い手らしい男や女の写真が、四方の壁一パイに並んでいる店の広間へ、縦横十文字に並んだ長椅子に凭《よ》りかかった毛唐と女唐《めとう》とが、フロック張りの番頭や手代の鳴らすレコードを知らん顔をして聞いていたようです。
 その横ッチョの木煉瓦張《もくれんがば》りの通路《とおりみち》をやはり女に手を引かれながら通り抜けて、奥の行当りのドアを抜けるとヤット肩幅ぐらいの狭い廊下に出ました。その廊下は向う下りになっていて、黒いマットが一面に敷いて在るために足音も何もしないまま地下室へ降りて行くようになっていたらしいんですが、その中《うち》に右に曲ったり左に折れたりして扉《ドア》を三つか四つぐらい潜って、もうだいぶ下へ降りたナ……と思ったトタンに廊下の天井に点《つ》いていた電燈が突然《だしぬけ》に消えちゃって真暗闇《まっくらやみ》になっちまいました。それがチイ嬢《ちゃん》の顔の見納めだったんで……今度目、見た時は夕刊の新聞で手錠をかけられた笑い顔で、その次に見たのはデックと並んで死刑の宣告を受けている写真ニュースの横顔でしたがね。
 もちろんソン時のあっし[#「あっし」に傍点]にゃそんな事がわかりっこありゃせん。神様だって知らなかったんですから……それと一所《いっしょ》に女も手を放しちゃったんですから、あっしはタッタ一人真暗闇の中に取残されちゃったんで……往生しましたよ。まったく。
 それでもまだ自惚《うぬぼ》れが残っていたんですから感心なもんでげしょう。さては女がイタズラをしやがったんだナ……ヨオシ……その気ならこっちでも探り出して見せるぞ……てんで鬼ゴッコみたいに手探りで向うの方へ行きますと、いつの間にか廊下の行当りの扉《ドア》を通り抜けて一つの立派な部屋に出ていたんですね。不意討ちにパッとアカリが点《つ》いたのを見ると、太陽が二十も三十も一時に出て来たようで今度こそホントウに腰を抜かすところでしたよ。何しろそこいら中反射鏡ダラケの部屋に、天井一パイの花電燈が点《つ》いたんですからね。
 世の中には立派な部屋が在れば在るもんだと思いましたねえ。この節なら銀座へ行けあアレ位の部屋がザラに在るんですから格別驚かなかったかも知れませんがね。何の事はない、竜宮みてえな金ピカずくめの戸棚や、椅子、テーブル、花束や花輪で埋まった部屋なんで、ムンムンする香水の匂いで息が詰りそうな中にタッタ一人突立っている見窄《みすぼ》らしいあっし[#「あっし」に傍点]の姿が、向うの壁一パイに篏め込んで在る大鏡に映ったのを見た時にゃ、思わずポケットへ手を当てましたよ。コンナ立派な部屋でチイ嬢《ちゃん》を抱いて寝た日にゃ、イクラ取られるかわからないと思いましてね。そこまで来てもまだ瘡毒気《かさけ》が残っていたんですから大したもんでゲス。
「アハハハ。お金のこと心配してはイケマセン……ミスタ・ハルキチ……アハハハハ……」
 だしぬけに大きな笑い声がしたのでビックリして振向きますと、あっし[#「あっし」に傍点]の背後《うしろ》の大きな蘭の葉陰から四十年輩の夜会服の紳士が、歩み出して来ました。その柔和な笑顔を見ると、たしかにどこかで会ったことの在る顔だとは思いましたが、どうしても思い出せません。真逆《まさか》にツイ今サッキ乗って来た馬車の馭者が黒い頬髯を取ったものだとは気付きませんでしたので、多分台湾館に居る時にチップを余計に呉れたお客の一人じゃないかと思いながらホッとタメ息しておりますと、その紳士は右手を差出して、あっし[#「あっし」に傍点]と心安そうに握手しながら一層、眼を細くして申しました。しかも、それが片言まじりの日本語なんです。
「……アナタ……この家《うち》がドンナ家《うち》ですか、よく御存知でしょう。それですからメンド臭いお話やめましょうね。用事だけお話しましょうねえ。コチラへお出《い》で下さい」
 と私《あっし》を手招きしながら部屋の隅の巨大《おおき》な銀色の花瓶の処へ来ました。それは人間ぐらいの大きさの花瓶に蝦夷菊《えぞぎく》の花を山盛りに挿したもので、四五人がかりでもドウかと思われるのをその紳士は何の雑作《ぞうさ》もなく一人で抱え除《の》けますと、その花瓶の向うの寄木細工《よせぎざいく》の板壁の隅に小さな虫喰いみたいな穴が二つ三つ出来ております。その穴の一つに紳士が、時計の鎖に附いている鍵を突込みますとパタリと音がして二尺に二尺五寸ぐらいの壁板が開《あ》いて、奥の浅い十段ばかりに仕切った棚があらわれました。それがその毛唐の紳士が片言まじりの日本語と手真似で話すのを聞いてみるとこうなんです。
 ――この秘密の棚を錠前を使わないで開けられるようにしてもらいたい。材料と道具は入用なだけ直ぐに取寄せてやる。お前は台湾館の横で売っている不思議な箱根細工のマジック箱を作った大工さんだろう。だからアノ箱根細工の通りにここへ
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