告《おふれ》を出したものですよ。まったく、大本教《おおもときょう》のお筆先《ふでさき》に引っかかったみてえで……それから亜米利加へ着くまで二週間ばかりの間、六の親父とあっし[#「あっし」に傍点]と二人で上甲板の病室に入れられてウンウン云っておりました。
アトから聞いてみると揃いも揃ったステテコが二人つながって引っくり返《けえ》った。場違いのステテコだ……てんで船中の大評判になったんだそうで……おまけに二人とも……大変だ大変だ……とか何とか変な譫語《うわごと》を並べたもんですから、念のために血を取って調べてみると恐ろしいもんでゲス。浮気の痕跡《あと》がタップリと血の中に残っている。この白痴《こけ》野郎ッ……てな毒の名前《なめえ》だったと思いますがね。ヘエ。そのゴノゴッケンの陽性なんで、テッキリ脳梅毒……何をするかわからねえということになって閉《し》め込みを喰ったもんです。その又、船のお医者って奴がチャチな塩《しょ》っぱい野郎だったのでしょう。その中《うち》にホントの病気の名前《なめえ》がわかったんだそうですが……。
ヘエ。その病気の名前でゲスか。エエト……そうそう六の親父《おやじ》のが「野垂《のた》れ死に」てえんで、あっし[#「あっし」に傍点]のが「鸚鵡《おうむ》・小便《シッコ》」てんだそうで……笑いごとじゃねえんで……ヘエ。ノスタレジイ……ノスタルジヤにホーム・シックでゲスかい。どうもおかしいと思った。お笑いになっちゃ困ります。二人とも熱が八度ばかり出ましたよ。日本へ帰ってから聞いてみたら舶来の神経衰弱なんだそうで……重いのがノスタレジイで軽いのがオーム・シッコてんだそうですが、ハイカラな病気があればあるもんですな。派手な浴衣の赤褌《あかふんどし》に、黄色い手拭の向う鉢巻がノスタレのオーム・シッコでウンウン云ってるんですから世話ありやせんや……。
それでも亜米利加へ上陸《あが》ると二人とも急に元気になりましてね。聖路易《セントルイス》へ着くと直ぐに建前《たてまえ》にかかりやした。藤村てえ工学士さんが引いてくれた図面の通りに台湾式の御殿を建てましたが大した評判でげしたよ。ソレアあっし[#「あっし」に傍点]とノスタレ爺《じい》の写真が大きく新聞に出ましたよ。ノスタレ爺の方は植木屋でゲスからその台湾館の前に作った日本式のお庭が大受けに受けちゃったんで……ノスタレ爺の野郎は雪舟の子孫だってえ事になったんですから呆《あき》れて物が云えませんや。あっし[#「あっし」に傍点]の方はモットおかしいんで……あっし[#「あっし」に傍点]はこれでも小手斧《こちょうな》の癇持ちでげして、小手斧《こちょうな》の木片《こっぱ》が散らかるのが大嫌いでげす。そこで最初《ノッケ》から手を附けた四十尺ばかりの美事な米松《べいまつ》の棟木《むなぎ》をコツンコツンと削《こな》して行く中《うち》に四十尺ブッ通しの継《つな》がった削屑《アラ》をブッ放しちゃったんで、見ていた毛唐の技師が肝《きも》を潰したもんだそうです。その話が亜米利加中の新聞に出たってんで、あっし[#「あっし」に傍点]が船の中で退屈|凌《しの》ぎに作った箱根細工のカラクリ箱が、まだ博覧会の初まらねえ中《うち》にスッカリ売約済みになる。六の親父《おやじ》をお雪の旦那のピイピイモルガンて奴が買いに来るってなアンバイで大した景気でしたよ。毛唐って奴はつまらねえ事を感心するんですね。ヘヘヘ。
その中《うち》に屋根の反《そ》ックリ返《けえ》った、破風造《はふづくり》のお化けみてえな台湾館が赤や青で塗り上って、聖路易《セントルイス》の博覧会がオッ初《ぱじ》まる事になりますと、今のノスタレとオーム・シッコが二人でフロッキコートてえ活弁《かつべん》のお仕着せみてえなものを着込んで入口の処へ突立って、藤村さんから教《おそ》わった通りの英語を、毎日毎日大きな声で怒鳴るんです。
「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
お笑いになっちゃ困ります。何てえ意味だかチットモ知らなかったんで……最初の中《うち》は茶目好きの藤村さんが「右や左のお旦那様」を英語で教えたんじゃねえかと思ってましたがそうでもないらしいです。お大師様の「あぼきゃあ兵衛《べえ》。露西亜《ロシヤ》のう、中村だあ」式の英語で、毛唐の厄払いか、荒神|祀《まつ》りの文句じゃねえかとも考《かんげ》えてみましたがそうでもないらしんで……ズット後《あと》になって聞いてみましたら「日本《じゃぱん》専売局《がばめん》台湾《ふおるもさ》烏龍茶《ううろんち》一杯《わんかぷ》十銭《てんせんす》、イラハイ《かむいん》イラハイ《かむいん》」てんですから禁厭《まじない》にも薬にもなれあしません。
もっともこのお祓《はら》いの文句の意味が、そんなに早くからわかってたら、あっし[#「あっし」に傍点]の生命《いのち》は無かったかも知れません。舶来の腸詰《ソーセージ》になっちゃって、毛唐の糞小便《くそしょうべん》に生れかわっていたかも知れねえんで……変テコなお話でゲスが人間の運てえものは、ドンナ事から廻り合わせて来るか知れたもんじゃ御座んせん。正直のところ「わんかぷ、てんせんす」と米の生《な》る木があっし[#「あっし」に傍点]の生命《いのち》の親なんで……。
とにかくソイツを訳のわからねえまんまに台湾館の前に突立って、滅法矢鱈《めっぽうやたら》に威勢よく怒鳴っているとドシドシ毛唐が這入って来る。台湾館の中では選抜《よりぬ》き飛切《とびき》りの台湾生れの別嬪《べっぴん》が、英語ペラペラで烏龍茶の講釈をしながら一枚八|仙《セント》の芭蕉煎餅《ばしょうせんべい》を出してお給仕をする。その毛唐らが這入りがけや出て行きがけにあっし[#「あっし」に傍点]とノスタレに五|仙《セント》か十|仙《セント》ずつ呉れて行きます。たまには一|弗《ドル》も五|弗《ドル》も呉れる奴が居る。そうかと思うと何も呉れねえでソッポ向いて行く猶太人《ジュー》みてえな奴も居るってな訳で、いいお小遣いになりやしたよ。
その中《うち》に英語がチットずつわかって参りやした。水の事を「ワラ」ってんで……ワラワセやがるてのは、これから初まったのかも知れません。舟に乗って来るのがナベゲタ。席亭話《よせばなし》の鍋草履《なべぞうり》てえのと間違いそうですね。女の事が「レデー」ですから男の事が「デレー」かと思ったら豈計《あにはか》らんや「ゼニトルマン」でげす。成る程これあ理窟でゲスが失礼したくなりますね。奥さんのことが「マム」……「女はマモノ」ってえ洒落《しゃれ》かも知れませんがドウカと思いますよ。「お早よう」てのが「グルモン」、こいつは「グル」だけでも間に合います。江戸ッ子の「コンチワ」が「チヤア」で済むようなもんでげしょう。今晩はが「グルナイ」。「勝手にしゃアガレ」てクッ付けてやりてえくれえで……「左様なら」が「グルバイ」……どうしてこう毛唐はグルグル云いたがるんだか……獣《けだもの》から人間になり立てみてえで……もっとも毛唐は毛の字が付くだけに手も足も毛ムクジャラですからね。女なんかでも顔はパヤパヤとした生《う》ぶ毛《げ》だらけで身体《からだ》中は鳥の毛を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》ったようにブツブツだらけでゲス。傍へ寄ると動物園臭くって遣り切れませんがね。男でも女でも物を呉れるたんびに「タヌキ」と云ってやると喜んでいるんですからヤッパリ獣《けだもの》なんでげしょう。
ところが、その毛唐のタヌキ野郎に非道《ひど》い目に合わされたお話なんで……獣《けだもの》だけに悪智恵にかけちゃ日本人は敵《かな》いませんや。
あっし[#「あっし」に傍点]等が人寄せをやっている台湾館の中には六人の台湾娘が居て、お茶の給仕をしておりました。そいつ等の名前《なめえ》は三十年も前《めえ》の事ですから忘れちゃいましたが、何でもフン、パア、チョキ、ピン、キリ、ゲタってな八百屋の符牒みたいな苗字の女の子が、揃って台湾|選《よ》り抜きの別嬪ばかりなんで、年はみんな十七か八ぐれえの水の出花《でばな》ってえ奴でしたが、最初っからの固いお布告《ふれ》で、そんな女たちに指一本でも指したら最後の助《すけ》、お給金が貰えねえばかりでなく、亜米利加でタタキ放しにするという蛮爵《ばんしゃく》様からの御達しなんで、おまけに藤村さんは藤村さんで、一足でも博覧会場から踏み出すことはならねえ。亜米利加の町にはギャングとかガメンとかいう奴がどこにでも居て昼日中でも強盗や人浚《ひとさら》いをやらかす。気の弱い奴と見たらピストルで脅威《おど》かして大盗賊《おおどろぼう》や密輸入の手先にしちまうから気を附けろ。一度ソンナ奴に狙われたら生きて日本に帰《けえ》れねえからそう思えってサンザ威嚇《おど》かされておりましたからね。何の事あねえ不動様の金縛りを喰った山狼《やまいぬ》みてえな恰好で、みんな指を啣《くわ》えて、唾液《つばき》を呑み呑みソンナ女たちを眺めているばかりでした。
可哀相に女の出来ねえ職人たら歌を忘れたカナリアみてえなもんで……ヘエ。あっし[#「あっし」に傍点]ゃ今でも気が若い方なんで、その頃はまだ三十になるやならずの元気一杯の奴が、青い瞳《め》をしたセルロイドじゃあるめえし、言葉も通じなけあ西も東もわからねえ人間の山奥みてえな亜米利加三界へ連れて来られて、毎日毎日そんな別嬪たちの色目づかいを見せ付けられながら涙声を張り上げて、
「わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」
をやらされているんですから、たまりませんや。ノスタレ爺もオームのオシッコも眼が釣上っちゃって、今にもポンポンパリパリと破裂しちまいそうな南京《ナンキン》花火みてえな気もちになっちまいましてね。哀れとも愚かとも何とも早や、申上げようのない「ふおるもさ、ううろんち」が一|対《つい》、出来上ったもんでゲス。
ところがここに一つうまい事が持上りました。その女たちの中でも一等|捌《さば》けるピン嬢《ちゃん》とチョキ嬢《ちゃん》という二人がノスタレだかオシッコだかわかりませんが病気になっちゃったんで、とりあえずの埋め合わせに聖路易《セントルイス》の支那料理屋に居たというチイチイっていうのとフイフイっていうのと二人の別嬪が手助けに来たんでげす。何しろ一人で卓子《テーブル》を六つ宛《ずつ》も持っているんで一人欠けても頬返《ほおげえ》しが附かないですからね。占めた。こいつは有難いことになったもんだと私《あっし》は内心でゾクゾク喜んじゃいました。ねえ。そうでしょう。今まで居た女には指一本さしても不可《いけ》なかったかも知れねえが、今度来た女なら差支《さしつけ》えなかろう。しかも向うが二人前ならこっちも二人前と云いてえが、片っ方が禿頭《はげあたま》の赤ッ鼻のノスタレじゃ問題にならねえ。若さといい、男前といい、一番|鬮《くじ》の本鬮《ほんくじ》はドッチミチこっちのもんだがハテ。ドッチから先に箸《はし》を取ろうかテンデ、知らん顔をして「わんかぷ、てんせんす」のおまじない[#「おまじない」に傍点]を唱えながら二三日ジッと様子を見ているとドウです。このチイ嬢《ちゃん》とフイ嬢《ちゃん》の二人が一緒に、あっしの方へ色目を使い初めたじゃ御座んせんか。
ヘヘ……どうも恐れ入りやす。おっとっと……こぼれます、こぼれます。どうもコンナに御馳走になったり、勝手なお惚気《のろけ》を聞かしたりしちゃ申訳《もうしわけ》御座んせんが、ここんところが一番恐ろしい話の本筋なんで致方《いたしかた》が御座んせん。どっちみち混線させないようにお話しとかないと、あとで筋道がわからなくなりやすからね。ヘヘ、恐れ入りやす。
二人の中《うち》でもフイフイっていうのは、まだ十七か八の初々《ういうい》しい聡明《りこう》そうな瞳《め》をした、スンナリとした小娘でしたが、あっし[#「あっし」に傍点]に色目を使いはじめたのはドウヤラ此娘《こいつ》の方が先だったらしいんです。台湾館に来る匆々《そうそう》
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