みます》模様の浴衣《ゆかた》と……その頃まだ団十郎《くだいめ》が生きておりました時分で……それから赤い褌木綿《ふんどしもめん》と、スリ鉦《がね》、太鼓、三味線《さみせん》なんぞがチャント揃ってたのには驚きましたよ。
 当日になると中甲板の五六百人ぐらい這入《はい》る広間《ホール》に舞台が出来て、そこへ一等の船客から吾々特別三等の連中まで一パイになって見物するんで、皮切りにヒョウキンな西洋人の船長が飛出して西洋手品を初める。ナカナカ鮮かなもんでしたが、これあ当り前でさあ。そのあとへ日本人が上ってヤッパリ西洋手品を使いましたがアンマリ冴《さ》えません。メード・イン・ジャパンが今でも幅の利かないのは手品ばっかりでしょう。その中《うち》にあっし[#「あっし」に傍点]のステテコの番が来たんで立上ろうとしているところへ今の植木屋の六の親父でゲス。その時はモウいい禿頭《はげあたま》の赤ッ鼻でしたっけが、あっし[#「あっし」に傍点]から世界の丸い話を聞《きい》てからというもの毎日毎日甲板に出て、船の周囲《まわり》をグルグルまわってゆく蓄音器のレコードみたいに平べったい海を見まわしながら首をひねっていた
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