いましたよ。それでもイクラか安心するにはしましたがね。
ですから亜米利加《アメリカ》へ渡る時には相当、落付いておりましたよ。仲間の奴に……大工と左官とで、植木屋の六の親子も入れて十四五人ぐれえ居りましたっけが……そんな連中に基隆《キールン》で買った七十銭の地球儀を見せびらかして、日本の小さい処を講釈して聞かせたりして片付いておりましたがね。その中《うち》に毎日毎日アンマリ長いこと海の上ばっかりを走って行くのに気が付くと妙なもので、理窟は呑込んでいる癖に、何となく心配になって来ました。今でも初めて洋行する人は、よくソンナような頭のヘンテコになる病気にかかるんだそうで、熱ぐらいあったかも知れません。別に何ともないのに、何だかミンナが欺されて島流しにされるんじゃねえか。佐渡が島へ金坑《かね》掘りに遣られるんじゃねえか……なんて考えているとドウモ頂くものが美味《おい》しく御座んせん。毎日毎日そのライスカレーとシチウとコロッケに飽きちゃったのかも知れませんがね。
その中《うち》に船の中で演芸会が初まりました。あっし[#「あっし」に傍点]がステテコを踊ることになったんで……船の中に派手な三桝《
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