奴なんで……その日も、あっし[#「あっし」に傍点]と組になってステテコを踊ることになっていたんですが、そいつが派手な浴衣に赤褌《あかふん》のまんまボンヤリ甲板から降りて来やして、出《で》の囃子《はやし》を聞いているあっし[#「あっし」に傍点]の顔をジイッと穴のあくほど見ながら、小《ち》ッポケなドングリ眼《まなこ》をパチパチさせたもんです。
「おれあドウしてもわからねえ」
「何がわからねえ」
「世界が丸いてえ理窟が……」
「馬鹿だな手前《てめえ》は……イクラ云って聞かせたってわからねえ。台湾へ渡った時にヤットわかったって安心してたじゃねえか」
「それはお前《めえ》だけだ。俺《おら》あアレからチットモ安心していねえんだ。不思議でしようがねえんだ」
「何が不思議だえ」
「だって考《かんげ》えても見ねえ。あの地球儀みてえなマン丸いものの上にドウしてコンナに水が溜まっているんだえ……。おまけに大きな浪が打ってるじゃねえか……ええ……」
そう聞くとあっし[#「あっし」に傍点]も頭の芯《しん》がジインとして考《かんげ》え込んじまいました。口では強いことを云いながら心の奥ではやっぱり心配していたんですね。そこが病気のセイだったかも知れませんが、図星を指されてハッとしたようなアンバイで変テコレンな眼のまわるような気もちになっちゃいました。そこいらがだんだん薄暗くなって気が遠くなって行くようなアンバイで……そのまんま引っくり返《けえ》っちゃったらしいんです。気が弱かったんですね、あっし[#「あっし」に傍点]は……もっともその時にはモウ六の親父《おやじ》と一緒に揃ってソンナ病気にかかっていたんだそうですから仕方がありませんがね。妙な病気があればあったもんでゲス。癲癇《てんかん》なら差詰《さしづ》め地球癲癇だったのでしょうが、そんなオボエは毛頭なかったんで……自分でも、おかしいと思いましたよ。
ですから同じ病気にかかっていた六の親父《おやじ》も、あっし[#「あっし」に傍点]が引っくり返《けえ》ったのを見ると直ぐに追っかけて引っくり返《けえ》りやがったんだそうで……これは大変だと思ったトタンに世界中が平ベタクなったてんですからダラシのねえ野郎で……お蔭でステテコはオジャンになっちまいました。誰が云い出しものか知れませんが、モトモト平べったい処に住んでいる人間に「世界は丸い」なんて罪な御布告《おふれ》を出したものですよ。まったく、大本教《おおもときょう》のお筆先《ふでさき》に引っかかったみてえで……それから亜米利加へ着くまで二週間ばかりの間、六の親父とあっし[#「あっし」に傍点]と二人で上甲板の病室に入れられてウンウン云っておりました。
アトから聞いてみると揃いも揃ったステテコが二人つながって引っくり返《けえ》った。場違いのステテコだ……てんで船中の大評判になったんだそうで……おまけに二人とも……大変だ大変だ……とか何とか変な譫語《うわごと》を並べたもんですから、念のために血を取って調べてみると恐ろしいもんでゲス。浮気の痕跡《あと》がタップリと血の中に残っている。この白痴《こけ》野郎ッ……てな毒の名前《なめえ》だったと思いますがね。ヘエ。そのゴノゴッケンの陽性なんで、テッキリ脳梅毒……何をするかわからねえということになって閉《し》め込みを喰ったもんです。その又、船のお医者って奴がチャチな塩《しょ》っぱい野郎だったのでしょう。その中《うち》にホントの病気の名前《なめえ》がわかったんだそうですが……。
ヘエ。その病気の名前でゲスか。エエト……そうそう六の親父《おやじ》のが「野垂《のた》れ死に」てえんで、あっし[#「あっし」に傍点]のが「鸚鵡《おうむ》・小便《シッコ》」てんだそうで……笑いごとじゃねえんで……ヘエ。ノスタレジイ……ノスタルジヤにホーム・シックでゲスかい。どうもおかしいと思った。お笑いになっちゃ困ります。二人とも熱が八度ばかり出ましたよ。日本へ帰ってから聞いてみたら舶来の神経衰弱なんだそうで……重いのがノスタレジイで軽いのがオーム・シッコてんだそうですが、ハイカラな病気があればあるもんですな。派手な浴衣の赤褌《あかふんどし》に、黄色い手拭の向う鉢巻がノスタレのオーム・シッコでウンウン云ってるんですから世話ありやせんや……。
それでも亜米利加へ上陸《あが》ると二人とも急に元気になりましてね。聖路易《セントルイス》へ着くと直ぐに建前《たてまえ》にかかりやした。藤村てえ工学士さんが引いてくれた図面の通りに台湾式の御殿を建てましたが大した評判でげしたよ。ソレアあっし[#「あっし」に傍点]とノスタレ爺《じい》の写真が大きく新聞に出ましたよ。ノスタレ爺の方は植木屋でゲスからその台湾館の前に作った日本式のお庭が大受けに受けちゃったんで……ノスタレ爺の
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