」に傍点]の姿が、向うの壁一パイに篏め込んで在る大鏡に映ったのを見た時にゃ、思わずポケットへ手を当てましたよ。コンナ立派な部屋でチイ嬢《ちゃん》を抱いて寝た日にゃ、イクラ取られるかわからないと思いましてね。そこまで来てもまだ瘡毒気《かさけ》が残っていたんですから大したもんでゲス。
「アハハハ。お金のこと心配してはイケマセン……ミスタ・ハルキチ……アハハハハ……」
 だしぬけに大きな笑い声がしたのでビックリして振向きますと、あっし[#「あっし」に傍点]の背後《うしろ》の大きな蘭の葉陰から四十年輩の夜会服の紳士が、歩み出して来ました。その柔和な笑顔を見ると、たしかにどこかで会ったことの在る顔だとは思いましたが、どうしても思い出せません。真逆《まさか》にツイ今サッキ乗って来た馬車の馭者が黒い頬髯を取ったものだとは気付きませんでしたので、多分台湾館に居る時にチップを余計に呉れたお客の一人じゃないかと思いながらホッとタメ息しておりますと、その紳士は右手を差出して、あっし[#「あっし」に傍点]と心安そうに握手しながら一層、眼を細くして申しました。しかも、それが片言まじりの日本語なんです。
「……アナタ……この家《うち》がドンナ家《うち》ですか、よく御存知でしょう。それですからメンド臭いお話やめましょうね。用事だけお話しましょうねえ。コチラへお出《い》で下さい」
 と私《あっし》を手招きしながら部屋の隅の巨大《おおき》な銀色の花瓶の処へ来ました。それは人間ぐらいの大きさの花瓶に蝦夷菊《えぞぎく》の花を山盛りに挿したもので、四五人がかりでもドウかと思われるのをその紳士は何の雑作《ぞうさ》もなく一人で抱え除《の》けますと、その花瓶の向うの寄木細工《よせぎざいく》の板壁の隅に小さな虫喰いみたいな穴が二つ三つ出来ております。その穴の一つに紳士が、時計の鎖に附いている鍵を突込みますとパタリと音がして二尺に二尺五寸ぐらいの壁板が開《あ》いて、奥の浅い十段ばかりに仕切った棚があらわれました。それがその毛唐の紳士が片言まじりの日本語と手真似で話すのを聞いてみるとこうなんです。
 ――この秘密の棚を錠前を使わないで開けられるようにしてもらいたい。材料と道具は入用なだけ直ぐに取寄せてやる。お前は台湾館の横で売っている不思議な箱根細工のマジック箱を作った大工さんだろう。だからアノ箱根細工の通りにここへ
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