ネバ河口の信号所の地下室で作り出して欧羅巴《ヨーロッパ》方面の密使に使用しておったものじゃが、この頃日本の機密探知手段が極度に巧妙になって来たのでヤリ切れなくなって使い始めたものに違いない。事によると今度が皮切りかも知れんて……」
「人間レコード……人間レコード……」
「ウム」
 支那人風の巨漢《おおおとこ》は唖然となっている相手の顔を見下して大笑した。
「アハハハ。モウ手配はチャントしてあるよ。君の手におえん位の奴ならモウ人間レコードにきまっとるからのう。ハハハ」

 山陽線の厚狭《あさ》を出たばかりの特急列車、富士号がフル・スピードをかけて南に大曲りをしている。今まで列車の尻ベタに吸い付いていた真赤な三日月をヤット地平線上に振り離したばかりのところである。
 展望車に接近した特別貸切室の扉《ドア》の前に、二十二三ぐらいのスマートな青年ボーイが突立ったまま凭《もた》れかかってコクリコクリと居睡《いねむ》りをしている。その毛布の下から出た一本の細い、黒いゴム管が、ボーイの上衣の下から、何気なく後に廻わした左手の指先に伝わって、お尻の蔭の扉《ドア》の鍵穴に刺さっている。音も何もしない。ボーイは帽子を傾けたままコクリコクリと動揺に揺られている。
 そこへ水瓶《みずがめ》とコップのお盆を抱えた十八九の綺麗な少年ボーイが爪先走りに通りかかったが、青年ボーイの前に来るとピタリと立停まって、伸び上りながら耳に口を寄せた。
「持って来ました」
 青年ボーイは眼を青白く見開いて冷やかに笑った。無言のまま毛布と、黒い毛糸で包んだガス発生器らしいものと、ゴム管を一まとめにして毛布の中に丸め込んで弟分のボーイに渡すと、車掌用の合鍵とネジ廻しを使って迅速に扉《ドア》の掛金と鍵を開いた。ハンカチで鼻を蔽いながら少年ボーイと二人で室内に這入ってガッチリと鍵を卸した。大急ぎで窓を開くと、つめたい夜気と共に、急に高まった列車の轟音が室内にみちみちた。
 赤茶気た室内電燈に照らされた寝台の中には最前の小柄な瘠せ枯れた白人の老爺が、被布《シーツ》から脱け出してゴリゴリギューギューと鼾《いびき》を掻いている。
 青年ボーイが少年ボーイを振返った。
「列車の中に相棒は居ないね」
 少年ボーイが簡単にうなずいた。青年ボーイが今一度冷笑した。
「フン。ここまで来れば東京まで一直線だからね。人間レコードだと思っ
前へ 次へ
全12ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング