に精通しているというだけの爺《じじい》としか見えませんから、仕方なしに××領事の了解を経てコチラへ立たせた訳ですが、しかし、どう考えても怪しい気がしてなりませんので取敢えず閣下に彼奴《きゃつ》の写真《スナップ》をお送りしておいて、ここまでアトを跟《つ》けて来た訳ですが……」
「ウム。君の着眼は間違いない。彼奴《きゃつ》は密使に相違ないと僕も思う。この頃、欧洲の時局が緊張して、露独の国境が険悪になったので、露国は満蒙、新疆《しんきょう》方面にばかり力を入れる訳に行かぬ。じゃから遠からず東亜の武力工作をやめて、赤化宣伝工作に移るに違いないのじゃ。露国が一番恐れているのは日本の武力でもなければ、科学文化の力でもない。日本人の民族的に底強い素質じゃ。三千年来その良心として死守し、伝統して来た忠君愛国の信念じゃからのう。コイツを赤化してしまえば、東洋諸国は全部|露西亜《ロシア》のものと彼等は確信しているのじゃからのう」
「成る程」
「その赤化宣伝工作に関する重大なメッセージか何かを、彼奴《きゃつ》がどこかに隠して持って来ているに違いないのじゃが……」
「昏睡させておいて鞄《かばん》は勿論|彼奴《きゃつ》の旅行服の縫目から、フェルト帽から、カンガルー靴の底まで念入りに調べましたが疑うべき点は一つも御座いません。ただ一つ……」
「何だ……」
「ただ一つ……」
「何がタダ一つだ……」
「あの老人を哈爾賓《ハルピン》から見送って来た朝鮮人が、下関駅でタッタ今電報を打ちました。銀座尾張町のレコード屋の古川という男に打ったものですが……」
「ウムウム。あの男なら監視させておるから大丈夫じゃが……その電文の内容は……」
「レコード着いた。富士に乗る……というので……」
「しめたぞッ……それでええのじゃ」
 支那人風の巨漢《おおおとこ》がイキナリ膝を打って大きな声を出した。
「エッ」
 人相の悪い紳士は眼をパチクリさせた。
 支那人風の巨漢《おおおとこ》は顔中に張切《はちき》れんばかりの笑《わらい》を浮かめて立上った。
「ハハハ。イヨイヨ人間レコードを使いおったわい」
「エッ……人間レコード……」
「ウム。露西亜《ロシア》で発明された人間レコードじゃ。本人は何一つ記憶せんのに脳髄にだけ電気吹込みで、複雑な文句を記憶させるという医学上の新発見を応用した人間レコードというものじゃ。ずっと以前から
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