寄せた。そうして私が身を退《ひ》く間もなく、ボソボソと囁き出したが、その云う事を聞いてみると、私が想像していたのと一言一句違わないといってもいい内容であった。
「……ええかね君……温柔《おとな》しく従《つ》いて来たまえ。悪くは計《はか》らわんから。ええかね。君はあの女優が殺された空屋の近くに住んでいるだろう。そうして毎晩、社から帰りにあの家の前を通って行くじゃろう。それから手口が非常に鮮かで何の証拠も残っておらん。よほど頭と腕の冴えた人間で、手筋をよく知っている人間の仕事に違わんというので、極《ごく》秘密で研究した結果君に札が落ちたのだよ。別に証拠がある訳じゃない。だから出る処に出ればキット証拠不充分になる。これは絶対に保証出来る。ええかね。わかっとるじゃろう……。これは職務を離れた心持ちで、君を助けたいばっかりに云う言葉じゃから信用してくれんと困る。君は頭がええから解るじゃろう。わしも君には今まで何度も何度も仕事の上で助けてもらったことがあるからナ……ナ……」
 この言葉のウラに含まれている恐るべく、憎むべき罠《わな》が見え透かない私じゃなかった。同時にその裏を掻《か》いて行こうとし
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