その時に私はいくらかドキドキさせられた。いよいよ怪しいと思ったので……ところが間もなく演舞場の横から、築地河岸《つきじがし》の人通りの少いところへくると、急にスピードを落した運転手が、帽子とマスクを取り除《の》けながらクルリと私の方を振り向いた。
「新聞に書いちゃイヤヨ。ホホホホ……」
私は思わず眼を丸くした。
それは二週間ばかり前から捜索願が出ている、某会社の活劇女優であった。彼女はズット前に、ある雑誌の猟奇《りょうき》座談会でタッタ一度同席した事のある断髪のモガで、その時に私がこころみた「殺人芸術」に関する漫談を、蒼白《あおじろ》く緊張しながら聞いていた顔が、今でも印象に残っているが、それが「女優生活に飽きた」という理由でスタジオを飛びだして、東京に逃げ込んでくると、所もあろうに三年町の私の下宿の直ぐ近くにある、小さなアバラ家《や》を借りて弁当生活をはじめた。そうして男のような本名の運転手免状を持っているのを幸いに、そこいらのモーロー・タクシーの運転手に化けこんで、モウ大丈夫という自信がついてから悠々《ゆうゆう》と私を跟《つ》けまわしはじめた……と彼女は笑い笑い物語るのであった
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