志が眩しくて危険なために消し合うのが一つの不文律、兼、仁義《あいさつ》みたようになっているのであるが、しかし、たとい相手がヘッド・ライトを消さなかったにしてもコースの不安定な自転車ならばイザ知らず、慣れた運転手ならば眩しい方向に吸い寄せられてブッツケ合うようなヘマをする気遣いは先《ま》ずないといってもいいので、その点に就いて川崎署の交通巡査はチョッとした不審を起したらしい。傷の手当が済んで元気を恢復した大型トラックの運転手、戸若市松を巡査部長室に連れ込んで、その当時の模様を今一度聞いてみた。
「相手は、お前の車のヘッド・ライトが眩しいためにハンドルを誤ったんだな」
「……ヘエ……」
戸若運転手は何故か返事を躊躇した。青白い魘《おび》えたような眼付きで交通巡査の顔を見た。
「どうかね。衝突の原因について、ほかに心当りはないんか。ええ?」
「……ヘエ……」
活動俳優みたような好男子の戸若運転手は、無粋な恰好に巻いた頭の繃帯をうなだれた。
「免状を見るとお前は、かなり古い運転手やないか」
「……ヘエ……」
「どうしてヘッド・ライトを消さなかったんか。別に咎《とが》める訳じゃないが」
「……………」
黙って考え込んでいた戸若運転手は、やがてゴックリと一つ大きくうなずいた。何事か決心したらしく深いため息をして顔を上げた。昂奮したらしく眼を光らして乾燥《かわ》いた唇を嘗《な》めた。
「……ハイ。実は殺されるのが恐ろしゅう御座いましたので……」
「……ナニ……殺される……」
交通巡査はビックリしたようにロイド眼鏡をかけ直し、腕章を上の方へ押上げた。
「フーム。妙な事を云うのう。ヘッド・ライトを消やせば何故、殺されるんか……お前アタマがどうかしとらせんか」
戸若運転手は眼をしばたたいた。気の弱い男らしく泪《なみだ》を一パイに溜めると、机の向側の端に両手を突いて頭を下げた。
「ヘイ、恐れ入ります。私はモウすっかり前非後悔をしております。何も彼《か》も白状致します」
「フーム。白状するちうて何か悪い事でもしたんか」
「ヘエ。私は大罪人です。姦通《まおとこ》と泥棒《ぬすっと》の二重の大罪人です。それを知っている者は、あの惨死しました蟹口さんだけです。蟹口さんは私から、女と二千円の金を盗まれたまま、黙っていてくれたのです。しかしあの恐ろしい死顔を見たら迷《まよい》の夢が醒めました
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング