日までに彼が見たり聞いたりした幾多の所謂《いわゆる》成功者、すなわち立志伝中の人々が……如何に残忍な、血も涙も無い卑怯な方法をもって弱者を蹂躙《じゅうりん》し、踏殺《ふみころ》して来たかを聯想し、想起し続けていた。
 ……俺もその一人にならなければならぬ。否々。もっともっと強い人間にならねばならぬ。貴い俺自身の一生涯……これだけの頭脳と、智識と……この若い血と、肉と、豊かな情緒とをあの見苦しい、淋《さび》しい廃物同然の唖女の一生と釣換《つりか》えにしてたまるものか……これは当然の事なのだ、天地自然の理法なのだ。ちっとも恥ずるところはない。咎《とが》められるところもない。ただ他人に見咎《みとが》められさえしなければ……疑われさえしなければいいのだ。ちっとも構わない。何でもない事なのだ。
 そんな事を考えまわしているうちに、いつの間にか、雪の光りに包まれたような寒さを感じ初めたので、彼はハッとして吾《われ》に帰った。
 頭のシンは睡《ね》むくてたまらないのに、意識だけはシャンシャンと冴え返っているような気持で彼は、正面の薬戸棚の抽出《ひきだし》から小さなカプセルを一個取出した。それから突当
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