い奴は身投げぐらい、しかねないんだ。毛唐なんて存外、気の小さいもんだからね。すぐに思い詰める奴が出て来るんだ。その証拠に、明日《あした》明日で云い抜けながら仕事をして行くうちに、三日ばかり経ったら乗客が、一人も寝なくなってしまった。みんな神経衰弱にかかっちゃったらしいんだ。来る日も来る日もエムデンの目標になって浮いているんだから、考えて見れあ無理もないさ。こっちも無論エムデンが怖くないことはなかったが、怖いったって今更ドウにも仕様がない。タッタ一本しか無い予備シャフトを無駄にしたらそれこそホントウに運の尽きだからな。
そんな訳で、最初から腹を定《き》めて仕事をしたお蔭で、ヤット船が動き出すには動き出したが、今度はモウ速力《スピード》を出さない。八千|磅《ポンド》の証文をタタキ返して、安全弁《セーフチイバルブ》の鉄片《てつきれ》を引っこ抜いてしまった。すると又、そのうちに、乗客の中でも一番航海通の海軍将校上りが……サッキ話した慌て者さ……そいつが手ヒドイ神経衰弱に引っかかってしまった。機関長を殺せとか何とか喚《わ》めきやがって、ピストルを振りまわすので、トテモ物騒で寄り付けない。……とか何とか事務長が文句を云いに来たから、僕は眼の球《たま》の飛び出るほど怒鳴り付けてやった。
「……訳はない。そいつを機関室《ここ》へ連れて来い。汽鑵《かま》へブチ込んでくれるから……いくらか正気付くだろう」
と云ってやったら事務長の奴、驚いて逃げて行ったっけ。ハッハッハッハッ……。
オーイ。這入れえ。オイオイ。這入れえ……。
何だ。ボン州か。何の用だ。ナニイ。チットモ聞えない。こっちへ這入れ。そうしてその扉《ドア》を閉めろ……ちっとも聞えない。
どうしたんだ。……ウンウン……検査が済んだのか。恐ろしく恐ろしく手間取ったじゃないか。ウンウン真鍮張《しんちゅうば》りのトランクの中に麻雀八|筥《はこ》か……牌《パイ》の中味は全部|刳抜《くりぬ》いて綿ぐるみの宝石か……古い手だな……。
オットオット。待ち給え李《リー》君……今頃ピストル何か出したって間に合わないよ。君の背後《うしろ》の寝台の下に居る奴がスイッチを切ると、今君が腰をかけている鉄の床几《しょうぎ》に、千五百ボルトの電流が掛かるんだ。そのために君のお尻を濡らしておいたんだが、気が付かなかったかい。ハハハ……。
先刻《さっき》から冗《くど》く説明しているじゃないか。あの垂直の鉄梯子を降りたら運の尽きだと……ハハハ。解ったかい。わかったらモウ一度腰を卸《おろ》し給え。大丈夫だよ。まだ電流《でんき》は来ていない。君を黒焦《くろこ》げにしちゃっちゃ、元も子もなくなるからね。ね。解ったろう。
君はこの船を普通《ただ》の船と見て乗った訳じゃなかろう。最初から秘密があると睨んで虎穴に入ったんだろう。序《ついで》にこの船の秘密を看破《みやぶ》ってやれという気になってここまで降りて来たのは、いい度胸だったかも知れないが、そいつがドウモ感心しなかったね。
ナニ。あの宝石は模造品だって? ハハハ。そうかも知れないが模造品で結構だよ。頂戴する分には差支えなかろう。ナニ、皆|呉《く》れるから生命《いのち》だけは助けてくれか。ハハハハ……それは時と場合に依っては助けてやらない事もないが、それじゃ王《ワン》君に済まない事になるんだ。王君からの電話に依ると君は目下|北平《ペーピン》でヨボヨボしている白系露人の頭領、ホルワット将軍の秘書役だったが、日本の田中内閣が潰れてから、同将軍を支持する国が無くなったので見切りを付けて、共産軍の方へ寝返りを打ったサイ・メイ・ロン君に相違ないというんだ。それから君はツイこの頃になってG《ゲー》・P《ペー》・U《ウー》の遊離細胞となって、上海《シャンハイ》に流れ込んで来ると間もなく、最近上海で国際スパイ兼、排日団体の首領として売り出している、青紅《チンオン》嬢の一|乾児《こぶん》となったもので、Rの四号というのはヤッパリ君の事らしいという王君の報告だがね。
……ところでそのRの四号君が、ドレ位の腕前を持っているかということは、今云う通り経歴《すじみち》がヤヤコシイからサッパリ判然《わか》っていないんだが、とにかく一当り当って焦点《フオカス》を合わせてくれ、トランクの中味もまだ突止めていないが、近いうちに日支関係が緊張するのを見越して、上海の巨商|黄鶴号《おうかくごう》から、長崎の支店へ送るべく青紅嬢に委託された貴重品らしいという話だったがね。ハハハ。王君はナカナカ眼が高いよ。
……ナニ……王君の正体は何だって聞くのか。……フフフ……それを聞いてドウするんだい。王君の親友が吾輩なんだから、大抵想像が付くだろう。序《ついで》に吾輩はこの船の機関長でも何でもない。だから最前から饒
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