ビラを切っている夢か何か見ている最中《さなか》に、今の推進機《スクリュウ》の中軸になっている、一番デッカイ長い円棒《シャフト》が、中途からポッキリと折れたもんだ。急にスピードを掛けた馬力《やつ》が、イの一番に円棒《シャフト》へコタえたんだね。
アッハッハッハッハッ……そん時には流石《さすが》の吾輩も仰天したよ。折れると同時にキチガイみたいに廻転し出した機械の震動が、白河夜船のドン底まで響き渡ったもんだから、ウンもスンもあったもんじゃない。てっきりエムデンに遣られてゴースタンか何か掛けたものと、船長初め思い込んだらしいんだね。アッという間に船の中が、ワンワンワンワンと蜂の巣を突ッついたような騒ぎになった。船員も乗客も一斉にデッキを目がけて飛び出して来た。御丁寧な奴は卒倒《ひっくりかえ》ったという話だが……しかしこっちは眼を眩《ま》わすどころの騒ぎじゃない。ともかくも機械の運転を休止《アップ》して、予備のシャフトを入れ換える事だ。
そうすると又、大変だ。この沖の只中で船を止めておくのは、エムデンの目標を晒《さら》しておくようなものだというので、乗客が血眼《ちまなこ》になって騒ぎ出した。船長はもとより運転手までが、七面鳥みたいに気を揉み初めたものだから、イヨイヨもって手が着けられなくなった。一方に船の方は呑気《のんき》なもんだ。そんな騒ぎを載せたまんま、エムデンの居そうな方向へブラリブラリと漂流し始めた。二三百|尋《ぴろ》もある海《ところ》で碇《アンカ》なんか利きやしないからね。通りかかりの船なんか一艘だって見付かりっこない。SOSを打ってみても聯合艦隊が相手にしてくれない……というのだから、その騒動たるや推《お》して知るべしだろう。
……ところが又、生憎《あいにく》なことに、その円棒《シャフト》の入れ換えが、キッカリ一週間かかったもんだ。つまりその間じゅう、全然、機械の運転を休止《アップ》して、行きなり放題に流れ廻わっていた訳だ。
……何故……何故ったってマア考えてみたまえ。あの直径二|呎《フェート》何|吋《インチ》、全長二百何十|呎《フェート》という、大一番の鋼鉄《はがね》の円棒《シャフト》だ。重さなんかドレ位あるか、考えたってわかるもんじゃない。実際、傍へ寄ってみたまえ。これが人間の作ったものかと思うと、物が云えなくなる位ステキなもんだぜ。そいつを索条《ワイヤ》や鎖《チエン》でジワジワと釣り上げるだけでも、チョットやソットの仕事じゃない。おまけにあの大揺れの中を、二日がかりで荷物を積み換えて、ヤット少しばかりお尻を持ち上げさした船のスクリュウの穴の中へ、ソーッと押し込もうというのだから、無理な註文だという事は最初からわかり切っているだろう。船渠《ドック》の中で遣っても相当、骨の折れる仕事を、沖の只中で流されながら遣ろうというのだからね。……のみならず今も云う通り、七八千|噸《トン》の屋台を世界の涯まで押しまわろうという鋼鉄《はがね》の丸太ン棒だ。ピカピカ磨き上げた上に油でヌラヌラしている奴だから、手がかりなんか全然《まるで》無いんだ。ワイヤとチエンで、どんなに緊《しっか》り縛り付けといたって、一旦辷り出したとなれあ、人間の力で止める事が出来ない。一|分《ぶ》辷ったら一|寸《すん》……一寸辷ったら一尺といった調子で、アトは辷り放題の、惰力の附き放題だ。遠慮も会釈《えしゃく》もあったもんじゃない。ズラズラズラズラッと辷り出したが最後の助。鉄の板でも何でもボール紙みたいに突き破って、船の外へ頭を出すにきまっている。そのまま、ズルズルズッポリと外へ抜け出してしまったら、ソレッキリの千秋楽だ。取り返しが付かぬどころの騒ぎじゃない。飛び出しがけの置土産《おきみやげ》に巨大《おおき》な穴でもコジ明けられた日には、本家本元の船体が助からない。シャフトのアトからブクブクブクと来るんだ。……ハッハッどうだい。わかるかね。シャフトの素晴らしさが。ウン。わかるだろう。コンナ篦棒《べらぼう》な苦心した機関長はタントいないだろうと思うがね。
ところが世の中は御方便なものでね。険呑《けんのん》な仕事なら、自慢じゃないが、慣れっこになっている吾輩だ。尤も吾輩が乗ったからシャフトが折れたのかも知れないがね、ハッハッ。前以て、そんな間違いがないように、二重三重に念を入れて、不眠不休で仕事をしたから、ヤット一週間目に蒸汽《スチーム》を入れるところまで漕《こ》ぎ付けたんだが、その間の騒動ったらなかったね。一万|磅《ポンド》なんか無論立消えさ。糞《くそ》でも喰らえという気で、押し切るには押し切ったが、実のところ寿命が縮まる思いをしたね。……乗客の方は無論の事さ。その時分に印度洋のマン中で、一週間も漂流するなんて事を、ウッカリ最初から云い出そうもんなら、気の早
前へ
次へ
全12ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング