「プッ。馬鹿ね貴方。まだ信じていらっしゃるの。白鷹の奥さんの卒倒騒ぎを……」
「信じているともさ……だからお見舞に行くんじゃないか」
「お見舞に行くのを止して頂戴……そうして知らん顔して庚戌会へ出席して御覧なさいって言うのよ。キットほんとの白鷹先生がいらっしゃるから……」
「……ほんとの白鷹先生。ふうん。つまり、それじゃ今迄の白鷹先生は、姫草ユリ子の創作した影人形だって言うんだね」
「ええそうよ。何だかそんな気がして仕様がないのよ。あの娘《こ》の実家が裕福だって言うのも、当てにならない気がするし、年齢《とし》が十九だって言うのも出鱈目《でたらめ》じゃないかと思うの……」
「驚いた。どうしてわかるんだい」
「あたし……あの娘が病院の廊下に立ち佇まって、何かしらションボリと考え込んでいる横顔を、この間、薬局の窓からジイッと見ていた事があるのよ。そうしたら眼尻と腮《あご》の処へ小さな皺《しわ》が一パイに出ていてね。どうしても二十五、六の年増《としま》としか見えなかったのよ」
「ふうん。何だか話がモノスゴクなって来たね。姫草ユリ子の正体がダンダン消え失せて行くじゃないか。幽霊みたいに……」
「そればかりじゃないのよ。その横顔をタッタ一目見ただけで、ヒドク貧乏臭い、ミジメな家の娘の風付きに見えたのよ。お婆さんじみた猫背の恰好になってね。コンナ風に……」
「怪談怪談。妖怪《おばけ》エー……キャアッと来そうだね」
「冷やかしちゃ嫌。真剣の話よ。つまり平常《いつも》はお化粧と気持で誤魔化《ごまか》して若々しく、無邪気に見せているんでしょうけど、誰も見ていないと思って考え込んでいる時には、スッカリ気が抜けているから、そんな風に本性があらわれているんじゃないかと思うのよ」
「ウップ。大変な名探偵が現われて来やがった。お前、探偵小説家になれよ。キット成功する」
「まあ。あたし真剣に言ってんのよ。自烈《じれっ》たい。本当にあの人、気味が悪いのよ」
「そう言うお前の方がヨッポド気味が悪いや」
「憎らしい。知らない」
「もうすこし常識的に考えたらどうだい。第一、あの娘《こ》がだね。姫草ユリ子が、何の必要があってソンナ骨の折れる虚構《うそ》を巧謀《たくら》むのか、その理由が判明《わか》らんじゃないか。今までに持ち込んで来たお土産の分量だって、生優しい金高じゃないんだからね。おまけにおりもしないモウ一人の白鷹先生を創作して、電話をかけさせたり、歌舞伎に案内させたり、カステラを送らせたり、風邪を引かしたり、平塚に往診さしたり、奥さんを三越の玄関で引っくり返らしたりなんかして……作り事にしては相当骨が折れるぜ。況《いわ》んや俺たちをコンナにまで欺瞞《だま》す気苦労と言ったら、考えるだけでもゾッとするじゃないか」
「……あたし……それは、みんなあの娘《こ》の虚栄だと思うわ。そんな人の気持、あたし理解《わか》ると思うわ」
「ウップ。怪しい結論だね。恐ろしく無駄骨の折れる虚栄じゃないか」
「ええ。それがね。あの人は地道に行きたい行きたい。みんなに信用されていたいいたいと、思い詰めているのがあの娘《ひと》の虚栄なんですからね。そのために虚構《うそ》を吐《つ》くんですよ」
「それが第一おかしいじゃないか。第一、そんなにまでしてこちらの信用を博する必要が何処に在るんだい。看護婦としての手腕はチャント認められているんだし、実家《うち》が裕福だろうが貧乏だろうが看護婦としての資格や信用には無関係だろう。それくらいの事がわからない馬鹿じゃ、姫草はないと思うんだが」
「ええ。そりゃあ解ってるわ。たとえドンナ女《ひと》だっても現在ウチの病院の大切なマスコットなんですから、疑ったり何かしちゃすまないと思うんですけど……ですけど毎月二日か三日頃になると印形《ハンコ》で捺《お》したように白鷹先生の話が出て来るじゃないの。おかしいわ……」
「そりゃあ庚戌会がその頃にあるからさ」
「でも……やっぱりおかしいわ。それがキット会えないお話じゃないの……オホホ……」
「だから言ってるじゃないか。廻り合わせが悪いんだって……」
「だからさ。それが変だって言ってるんじゃないの。廻り合わせが悪すぎて何だか神秘的じゃないの」
「止せ止せ。下らない。お前と議論すると話がいつでも堂々めぐりになるんだ。神秘も糞もあるもんか。白鷹君に会えばわかるんだ。……茶をくれ……」
私は黙って夕食の箸を置いて新調のフロックと着換えた。誰しも疑わない姫草ユリ子の正体をここまで疑って来た妻のアタマを小五月蠅《こうるさ》く思いながら……。
「とにかく今夜は是非とも白鷹君に会ってみよう。石を起し瓦をめくってもか。ハハハ。エライ事に相成っちゃったナ……」
桜木町から二円を奮発した私が、内幸町の丸の内倶楽部へタクシーを乗り付けたのが
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