てくれたものであった。
 相手に出たのは妻の松子だったそうであるが、その時に白鷹夫人から聞いた事情なるものは、女の耳に取って真に肝も潰れるような事ばかりであったと言う。
 勿論、姫草ユリ子の言葉にも多少の真実性はあった。彼女は確かにK大耳鼻科にいた事のある姫草ユリ子と同一人には相違なかった。彼女の看護婦としての技術が、驚異に価すべくズバ抜けた天才的なものであった事も事実には相違なかったが、しかし、同時に、実に驚異に価するほどのズバ抜けた、天才的な虚構《うそ》の名人であった事も周知の事実であったと言うのである。
 すこし社会的に著名な人物なぞがK大の耳鼻科に入院すると、彼女、姫草ユリ子は彼女独特の敏捷《びんしょう》な外交手腕でもって他人を押し除けて看護の手を尽すのであった。そうしてそのような人々から一も姫草、二も姫草と言わせるように仕向けないでは措《お》かないのであった。その結果、どうして手に入れたものか、そのような患者から貰ったと言う貴重品なぞを、自慢そうに同輩に見せびらかす事が度々であったという。
 そればかりでない。彼女はそんな身分のある家族の方々のうちの誰かと婚約が出来た……なぞと平気で言い触らしたりなぞしているかと思うと、おしまいには、やはりズット以前に入院した事のある映画俳優か何かの胤《たね》を宿したから、堕胎しなければならぬ……と言ったような事を臆面もなく看護婦長に打ち明け(?)て、長い事病院を休む。そのほか医員の甲乙《たれかれ》と自分との関係を、自分の口から誠しやかに噂《うわさ》に立てる……と言った調子で、風儀を乱すことが甚しいので、とうとうK大耳鼻科長、大凪《おおなぎ》教授の好意によって諭示退職の処分をされる事になったという。
 しかし以前からメソジストの篤信者《とくしんじゃ》であった白鷹久美子夫人は、かねてから彼女のそうした悪癖に対して一種の同情を持っていた。そうして彼女の才能と行末を深く惜しんだものらしく、彼女が首になると同時に自宅に引き取って、あらん限りの骨を折って虚構《うそ》を吐《つ》かないように教育した。キリストの聖名《みな》によって彼女の悪癖を封じようと試みたものであった。
 ところが、それが彼女に取っては堪《た》まらなく窮屈なものであったらしい。とうとう無断で白鷹家を飛び出して行方を晦《くら》ましてしまったので、何処へ行ったものであろう
前へ 次へ
全113ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング