三人、妙な眼付で振り返って行ったが、あの連中の眼には私等二人が何と見えたであろう。
私はヤットの思いで彼女をなだめ賺《すか》して病院に帰らせた。しかしその時にドンナ言葉で彼女を慰めたか、全く記憶していない。万一記憶していたらドンナにか白鷹氏の憤慨に価する言い草ばかり並べていた事であろう。
直ぐ横の石段を上って、露地の突き当りに在る自宅の玄関の古ぼけた格子扉を開いたトタンに、奥座敷のボンボン時計が一時を打った。二十分近く進んでいたにしても彼女との立ち話がずいぶん長かった事を思い出して、私は一人で赤面してしまった。そうして無事太平らしい家の中の気はいを察して、吾れ知らずホ――ッと胸を撫《な》で卸《おろ》した事であった。
ところがその安心は要するに私の一時の糠《ぬか》喜びに過ぎなかった。電車の中で私が抱き続けて来た一種異様な鬼胎観念《しんぱい》は、やはり意外千万な意味で物の美事に的中していたのであった。
心持ち昂奮気味で、慌しく私を出迎えた寝間着姿の姉と妻は、私の顔を見るや否や口を揃えて問いかけた。胸倉を取らんばかりに、
「白鷹先生にお会いになって……」
と左右から詰問するのであった。
「ウン会ったよ」
「姫草さんとは……」
「今、そこまで話して来た」
姉と妻とは顔を見合わせた。無言の二人の頬には、恐怖の色がアリアリと浮かんでいた。その顔を見ながら鼠の中折帽を脱《と》った瞬間に私は、探偵小説の深夜の一ページの中に立たされている私自身を発見したような鬼気に襲われたものであった。
「姫草さんとドンナお話をなすったの」
「ウム。まあお前達から話してみろ」
「貴方から話して御覧なさいよ」
「……馬鹿……おんなじ事じゃないか。話してみろ」
「だって貴方……」
「茶の間へ行こう。咽喉《のど》が乾いた」
それから熱い番茶を飲みながら二人の女の話を聞いているうちに何と……今の今まで私の脳味噌の中に浮かみ現われていた奇妙な家庭悲劇の舞台面が、いつの間にかグルグルと一変してしまったのであった。
私の留守中に、病気で寝ておられるはずの白鷹久美子夫人から、臼杵病院へ電話が掛ったのであった。それは約二時間前に私に面会した白鷹助教授が、すぐに下六番町の自宅へ電話をかけた結果であったらしく、非常に冷静な、同時にこの上もなく友誼的《ゆうぎてき》な口調で、白鷹夫人が私の一家に対して警告し
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