ろしくて仕様がなくなって来たんですの。もしかすると白鷹先生は、今までの事を一つも知らないような顔をなすって、平常と違ったブッキラボーな初対面の態度で、臼杵先生を失望おさせになるかも知れない。そうして言わず語らずの間に妾の立場をないようになさるかも知れない。妾を根も葉もない虚構《うそ》吐き女のインチキ娘に見えるように、お仕向けになるかも知れない…と気が付きますと、いても立ってもおられなくなって、先生のお帰りをあすこで待っているよりほかに妾、仕様がなくなったんですの。
 ……ね……臼杵先生。先生が一番最初に白鷹先生に紹介してくれって仰言った時に、妾がスッカリ憂鬱になって、お断りしかけた事を記憶《おぼ》えてお出でになるでしょう。妾、あの時に何だかコンナ事が起りそうな気がして仕様がなかったもんですからアンナ風に躊躇したんですけど、大切な先生がアンナに熱心にお頼みになるもんですから、思い切って妾の事なんか構わないで、白鷹先生にお電話をかけたんですの。
 ……ねえ……臼杵先生。ですから白鷹先生が、どうしても貴方にお会いにならなかった理由《わけ》が、最早《もう》おわかりになったでしょう。白鷹先生は貴方が最早、妾から何もかもお聞きになっている事と思い込んでお出でになるもんですから、先生から顔を見られる事を、どうしてもお好みにならなかったんですよ。……ですから一度は是非とも会わなければならない。けれども会いたくない……と言ったような気持から、あんなような策略を何度も何度もお使いになったに違いないと思うんですの。あたし……白鷹先生の、そう言ったお気持がよくわかっていたもんですから……口惜《くや》しくって口惜しくって……。
 ……あたし……他家《よそ》のお家庭《うち》の秘密なんか無暗《むやみ》に喋舌る女じゃないのに……妾をドコまでもペシャンコのルンペンにして、世の中に浮かばれないようになさるなんて……先生のおためばっかり思って上げているのに……K大でアンナに一所懸命に働いて上げたのに……あんまり……あんまり……あんまりですわ……」
 彼女は路傍の砂利積に撒布《まい》た石灰の上に黒い洋傘《コーモリ》を投げ出して、両袂を顔に当てながら泣きジャクリ始めた。
 気が付いてみると私等二人は、いつの間にか紅葉坂の自宅の石段の下まで来て、向い合ったまま立っていた。折から通りがかりの労働者らしい者が二、
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