と明け暮れ久美子夫人が気にかけているうちに突然、本年の六月の初め頃、ユリ子から電話が掛って来て、今は横浜の臼杵病院にいる。妾も、それから後、虚構を吐くのをピッタリと止めて、臼杵先生から信用されているから、以前の事は、どうぞ助けると思って秘密にして頂きたい……という極めてシオらしい話ぶりであったと言う。
しかし彼女の性格を知り抜いている白鷹夫婦は容易に彼女の言葉を信じなかったばかりでなく、それ以来、一種形容の出来ない不安に包まれていた。またあの女が臼杵家に入り込んで、まことしやかな虚構を吐いて、臼杵家を攪乱《かくらん》しようと思っているに違いない。それにつれてK大や白鷹家の事に就いても、どんな出鱈目《でたらめ》を臼杵先生に信じさせているか解らない……という心配から、夫人が内々で妻の松子に宛てて、臼杵病院の所づけで度々、ユリ子の行状に関するさり気ない問合わせの手紙を出したそうであるが、それは多分、彼女が握り潰したものであろう、一度も返事が来なかった。
白鷹夫人の心配は、そこでイヨイヨ昂《たか》まる事になった。これはもしかしたらあの嘘吐きの名人の言葉を真正面から信じ切っている臼杵家の連中が、白鷹家を軽蔑して全然、取り合わない事にキメているのではあるまいか。しかし、そうかと言って、あんまり執拗《しつこ》い、急迫した手段で、臼杵家に交際の手蔓《てづる》を求めるのも、こっちが狼狽しているようでおかしい……と言ったようないろいろな気兼《きがね》から、いよいよ形容の出来ない、馬鹿馬鹿しく不愉快な不安に陥って行った。殊に気の小さい、神経質な白鷹氏はユリ子の悪癖を極度に恐れているらしく、この頃では夫婦で寄ると触ると、そんな事ばかり話合っていたところへ、きょう主人が臼杵先生にお眼にかかってみると、どうも御様子が変テコだから一応、電話でお伺いしてみろ。臼杵先生は大変にソワソワして昂奮しておられるようだったが、何かまたあの女が余計な事を仕出かしたのかも知れないから、早く電話をかけといた方がいいだろう。ユリ子が取次に出るか出ないか……という主人の言葉だった……と言う久美子夫人の話で、聞いていた妻の松子は、電話口に立っておられないほど、赤面させられてしまったという。
しかし、それでも妻の松子は、同時にタマラないほど不安な気持に包まれてしまったので、なおも勇を鼓《こ》して通話を伸ばして貰いな
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