るかを、何処かで実地に見て知っていたに違いない。だから私が裏切り的に庚戌会に出席した事を、電話か何かで探り知った彼女は、狼狽の余り、おなじ日に、おなじ種類の患者を二度も私にブツケルようなヘマな手段でもって、私と白鷹氏の会見を邪魔しようと試みたものであろう。絶対絶命[#「絶対絶命」はママ]の一所懸命な気持から、果敢《はか》ない万一を期したものではあるまいか。もちろん偶然の一致という事も考えられない事はないが、彼女を疑うアタマになってみると断じて偶然の一致とは思えない。私は彼女……姫草ユリ子の不可思議な脳髄のカラクリ細工にマンマと首尾よく嵌《は》め込まれかけている私の立場を、この時にチラリと自覚したように思ったのであった。
 私は一生涯のうちにこの時ほど無意味な狼狽を重ねた事はない。
 私はそのまま列席の諸君と白鷹氏にアッサリと叩頭《おじぎ》しただけで、無言のままサッサと部屋を出た。またも湧き起る爆笑と、続いて起るゲラゲラ笑いとを、華やかに渦巻くジャズの旋律と一緒にフロックの背中に受け流しながら、愴惶《そうこう》として階段を駈け降りた。通りがかりのタキシーを拾って東京駅に走りつけた。そうして気を落ち着けるために、わざと二等の切符を買って、桜木町行きの電車に飛び乗った。何だか横浜の自宅に容易ならぬ事件でも起っているような気がして……妻《かない》が愛読している探偵小説の書き振りを見ても、留守宅に大事件が起るのは十中八、九コンナ場合に限っているのだから……と言ったような想像が、別段考えるでもないのにアトからアトから頭の中に湧き起って、たまらない焦燥と不安の中に私を逐い込んで行くのであった。あの時の私の脈膊《プルス》は、たしかに百以上を打っていたに違いない。
 けれどもそこで無人の二等車の柔らかいクッションの上にドッカリと腰を卸《おろ》して、ナナの煙を一ぷく吹き上げると間もなく、私の心境にまたも重大な変化が起った。窓越しに辷《すべ》って行く銀座の、美しい小雨の中のネオンサインを見流して行くうちに、現在、何が何だかわからないままに、無意味に、止め度もなく面喰らわされているに違いない私自身を、グングンと痛切に自覚し始めたのであった。
 ……俺はなぜアンナに慌《あわ》てて飛び出して来たのだろう。なぜ、もっと突込んで姫草の事を白鷹氏に尋ねてみなかったのだろう。白鷹氏は彼女の事に就いてモ
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