生方のようなお立派な地位や名望のある方々にまでも妾の誠実《まごころ》が信じて頂けないこの世に何の望みが御座いましょう。社会的に地位と名誉のある方の御言葉は、たといウソでもホントになり、何も知らない純な少女の言葉は、たとい事実でもウソとなって行く世の中に、何の生甲斐《いきがい》がありましょう。
さようなら。
白鷹先生 臼杵先生
可哀そうなユリ子は死んで行きます。
どうぞ御安心下さいませ。
[#ここで字下げ終わり]
昭和八年十二月三日[#地から1字上げ]姫草ユリ子 」
この手紙はすでに田宮特高課長に渡しました実物の写しで、貴下にお眼にかけたいためにコピーを取って置いたものですが、これを初めて読みました時も私は、何の感じも受けずにいる事が出来ました。依然として呆《あき》れ返ったトボケた顔で、相手の鋭い視線を平気で見返しながら問いかけました。
「ヘエ。貴方《あなた》がこの手紙の曼陀羅先生で……」
「そうです」
相手は初めて口を開きました。シャガレた、底強い声でした。
「モウ死骸は片付けられましたか」
「火葬にして遺骨を保管しておりますが……死後三日目ですから」
「姫草が頼んだ通りの手続きにしてですか」
「さようです」
「何で自殺したんですか」
「モルフィンの皮下注射で死んでおりました。何処《どこ》で手に入れたものか知りませんが……」
ここで相手は探るように私の顔を見ましたが、私は依然として無表情な強直を続けておりました。
曼陀羅院長の眼の光が柔らぎました。こころもち歪《ゆが》んだ唇が軽く動き出しました。
「先月……十一月の二十一日の事です。姫草さんはかなり重い子宮内膜炎で私のところへ入院しましたが、そのうちに外で感染して来たらしいジフテリをやりましてね。それがヤット治癒《なお》りかけたと思いますと……」
「耳鼻科医《せんもんい》に診《み》せられたのですか」
「いや。ジフテリ程度の注射なら耳鼻科医《せんもん》でなくとも院内《うち》で遣《や》っております」
「成る程……」
「それがヤット治癒りかけたと思いますと、今月の三日の晩、十二時の最後の検温後に、自分でモヒを注射したらしいのです。四日の……さよう……一昨々日の朝はシーツの中で冷たくなっているのを看護婦が発見したのですが……」
「付添人も何もいなかったのですか」
「本人が要《い》らないと申しましたので…
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