から妾へ宛ててコンナ速達のお手紙が来たんですの。きょうの午後に平塚の患者を見舞いに行くんだが、帰りが遅くなるかも知れない。だから庚戌会へも行けないかも知れない。お前から臼杵先生によろしく申し上げてくれって言うお手紙なんですの。ほんとに白鷹先生ったら仕様のない。稼ぐ事ばっかし夢中になって……キット平塚の何とか言う銀行屋さんの処ですよ。お友達と下手糞《へたくそ》の義太夫の会を開くたんびに、白鷹先生を呼ぶんですから、それが見栄なんですよ。つまらない……」
「アハハ。そう悪く言うもんじゃないよ。そんな健康な、金持の患者が殖《ふ》えなくちゃ困るんだ。耳鼻科の医者は……」
「だって久し振りに先生と会うお約束をしていらっしゃるのに……」
「ナアニ。会おうと思えばいつでも会えるさ」
「……だって」
 と口籠りながら彼女は如何にも不平そうな青白い眼付で、私の顔を見上げた。……が……この時に私がモウ少し注意深く観察していたら、彼女のそうした不安さが尋常一様のものでなかった事を容易に看破し得たであろう。「会おうと思えばいつでも会える」と言った私の言葉が、彼女にドレ程の深刻な不安を与えたか……彼女をドンナに恐ろしい脅迫観念の無間地獄に突き落したかを、その時に察し得たであろう。……自分の実家の裕福な事を如実に証明し、同時に、自分の看護婦としての信用が如何に高いものが在るかをK大助教授、白鷹先生の名によって立証すべく苦心していた彼女……かの「謎の女」の新聞記事によって、この時すでに社会的の破滅に脅威されかけている彼女自身の自己意識を満足させると同時に、彼女自身だけしか知らない驚くべき謎に包まれている彼女の過去を、完全に偽装《カモフラージュ》しようと試みていた彼女の必死的努力は、本物の白鷹先生と私とが直接に面会する事によってアトカタもなく粉砕される事になるではないか。彼女は、彼女自身に作り上げている虚構《うそ》の天国の夢をタタキ破られて、再び人生の冷たい舗道の上に放逐されなければならなくなるではないか。こうした女性に取って、そうした幻滅的な出来事が、死刑の宣告以上に怖ろしいものである事は現代の婦人の……特に少女の心理を理解する人々の容易に首肯《しゅこう》し得るところであろう。
 事実、こうした破局に対する彼女の予防手段は、それが後、真に死物狂い式なものがあった。「厘毫の間違いが地獄、極楽の分れ目
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