説くような眼付きじゃなかったわ。英雄的な男らしい眼付きだったわ。
その眼付きを見たトタンに妾は決心しちゃったわ。喜び勇んで、
「ええ。行ってもいい」
って言っちゃったわ。でもずいぶん息苦しかったわ。
智恵子さん、ビックリしちゃ嫌よ。妾スッカリ新高さんが好きになっちゃったのよ。これこそホントに生命がけの恋よ。そうして、それと一緒にドウかしてツヤ子さんの仇敵を取って遣りたくなったのよ。新高さんを取っちめて、ヒイヒイあやまらせた揚句に、自殺させるかドウカしたら、どんなにか愉快だろうと思ってしまったのよ。
コンナ風に文句に書いてみると、妾の言う事はムジュンしているでしょう。けれどもその時の気もちは、チットモムジュンしていなかったのよ。あの時ぐらい妾の胸が大きな希望で一パイになった事はなかったのよ。行く末に何の希望もないカラッポの妾の胸が、大きな、生き生きした幸福で一パイになったように思ったわ。
妾は文字通りに喜び勇んで、新高さんの下宿に行ったの。そうして一から十まで新高さんの言うなりになって遣ったの。ちっとも恐ろしくなかったわ。新高さんもモウすっかり欺《だま》されて夢中になっていなすったわ。
ソウ……妾、無茶かも知れないわ。でも無茶でもいいわ。今に見ていらっしゃい。妾の冒険が成功するか、しないか。
そう思う時、妾の胸がドキドキするもので一パイになってしまうのよ。妾は今、妾の人生が破裂しそうなくらい張り切っているのよ。
誰が何と言ったって妾は、この冒険に向ってマイ進するわ。
[#地から2字上げ]サヨナラ
第三の手紙
智恵子さん。
女なんて弱いものね。
妾、新高さんにスッカリ征服されちゃったの。この前のお手紙に書いたような冒険心が、いつの間にか弱って来たらしいの。
新高さんも毎日毎日妾を可愛がるのが楽しみになって来たらしいの。世帯の事だの、まだ生まれもしない赤ん坊の事ばかり妾に話すの……妾はソンナ時に黙っているんですけど、これから先ドレぐらい続くかわからない長い長い新高さんとの同棲生活のコースが、希望も何もない灰色にズーッと続いているのが見えて来たの。昔の通りの平凡なトミ子の心に……それがただ人妻となっただけのトミ子の心に帰りそうになって来たの。妾が大切に大切に隠していたツヤ子さんの手紙を焼いてしまおうかと思った事が何度あるかわからないの。
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