新高さんを殺す気なんか爪の垢ほどもなくなっちゃったのよ。智恵子さんに笑われても仕方がないわ。
 いったいこれはどうした事なんでしょう。妾の一生はこのまんまで平々ボンボンのままおしまいになるのでしょうか。新高さんと一緒になった最初の時のアノ張千切《はちき》れるようなモノスゴイ希望はいったい何処へ行ってしまったのでしょう。
 妾はコンナつもりで結婚したはずじゃなかったのよ。妾はこのまんまパンクしたタイヤみたいになって、何処までも何処までも転がって行かなければならないのでしょうか。
 店の先にブラ下がっている派手なメリンスのキレが眼に付いて眼に付いて仕様がなくなったのよ。赤ん坊の着物にはドンナのがいいかと思ってね。
 どうぞどうぞ笑って頂戴。人生なんてコンナものかも知れないわ。

     第四の手紙

 大変な事が起ったのよ。智恵子さん。あたし、死《な》くなったツヤ子さんとおんなじお手紙を貴女に書くわ。
 あたし近いうちに殺されそうなの。
 新高さんが妾のバスケットの中からツヤ子さんの手紙を発見したらしいのよ。新高さんはソンナ事をオクビにも出さないんですけどね。何だか心の底にヨソヨソしい処が出来て来たようなの。そのクセ妾を可愛がる事は前よりもズット強くなったから変じゃないの。おれ達は幸福だ、幸福だってこの頃、急に言い出したからおかしいじゃないの。何かわけがあると思わずにはいられないのよ。まだ一緒になってから一週間も経たないのにさあ。
 そればっかりじゃないの。きのうコンナ事があったの。夜の九時の折尾行きに乗って行く途中の事なのよ。
 妾たちのミナト・バスでもバス代りに一九三二年型のシボレーのオープンを使っているの。そのシボレーの折尾行きが例の通り満員しちゃったので、妾がステップに立って、新高さんが運転して行くうちに、妾はフッと気が付いて、筥崎《はこざき》の踏切を出ると直ぐにダンマリで後部《リーヤ》のスペヤタイヤの横にまわって、荷物を乗せるデッキの上に立っていたの。
 夜の九時頃よ。小雨が降って真暗だったわ。
 そうしたら多々羅の村中の狭い処で、向うからバスが来たと思うと、急にスピードをかけた新高さんが、ハンドルをものすごくグーッと左に取って、道傍の電柱にスレスレに走り抜けて行ったの。万一妾がモトの通り前の左側のステップに立っていたらキット払い落されてぐたぐたにタタキ
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