ている四ツの顔が皆、白い歯を現わして冷笑しているのを見ると、たちまち眼を釣り上げ、歯を喰い締めて今一度、心の底から唸った。
「ウウムムム。しまったッ……」
「ハハハ。△産党の九州執行委員長、維倉《いくら》門太郎。やっと気づいたか。馬鹿野郎……アッ、新張の奥さん……どうもありがとう御座いました」
そういってペコペコ頭を下げながら前に進み出たのは、四人の中でも一番|年層《としかさ》らしい、色の黒い、逞《たくま》しい鬚男であった。
「キット貴女《あなた》の処に行くだろうと思ったのが図に当りましたね」
「ホホホ。お蔭様で助かりましたわ」
媚めかしい声でそういいながら眉香子未亡人が静々と込《はい》って来た。僅かの間に櫛巻髪を束髪に直して、素晴らしい金紗の訪問着の孔雀《くじゃく》の裾模様を引ずりながら、丸々と縛られた維倉青年の前に突っ立った。眩しい刺繍の丸帯の前に束ねた、肉づきのいい両手の間から、巨大なダイヤの指環がギラギラと虹を吐いた。
「野郎……貴様らが上海《シャンハイ》の本部へ逃げ込む序《ついで》に門司から此地方《こちら》へ道草を喰いに入り込んだのを聞くと、直ぐに手配していたんだぞ。貴様らの同志四人はモウ先刻《さっき》、停車場で挙げられている。だからジタバタしたって駄目だぞ。貴様が門司から直方へ乗りつけたタクシーの番号までわかっているとは知らなかったろう」
「どうもありがとう御座いましたわねえ。ホホ。ちょうど御通知の番号の車で、この青年《しと》が見えましたから気をつけてお話を聞いておりますと、ポートサイドあたりへいらっした方にしては、すこし色が白過ぎるんですものねえ。ホホ。さもなければ、妾は見事に一パイ引っかかっていたかも知れませんわ。トテモそんな方とは見えなかったんですからねえ」
「ハイ。恐れ入ります。それから間もなく倉庫主任宛のお電話が警察《こちら》にかかって参りましたのでスッカリ安心して手配してしまったのです。手配がすんだ証拠に、お山全体の電灯にスイッチを入れると申し上げて置きましたが、おわかりになりましたか」
「ええ。今消させて直ぐ自動車でコチラへ参りましたのよ。ちょっとこの青年《かた》へいって置きたいことが御座いましたもんですから……」
「……あ……そうですか。それじゃ。……只今なら構いませんから……何なりと……」
四人の刑事は眼くばせをし合ってゾロゾロと廊下の方へ出て行った。あとを見送った眉香子未亡人は、今一度、維倉青年を見下してニッコリと笑った。
「ホホ。お気の毒でしたわね」
「…………」
維倉青年はギリギリと歯を噛んで、眼の前の訪問着を見上げた。しかし何もいわなかった。否、いい得なかったのであろう。
「モウ。何も仰言らないで頂戴ね。仰言ったって警察では何一つホントにしませんからね。貴方が妾をお呪咀《のろ》いになるためにドンナ作りごとを仰言っても取り上げる人はおりませんからね。よござんすか……」
「…………」
「ねえ。女だと思ってタカを括《くく》っておいでになったのがイケなかったんですわ。ねえ」
「…………」
「ホホ。死にたくても死ねないようにして差し上げるって申しましたこと……おわかりになりまして?……」
「……ド……毒婦ッ……」
青年はいつの間にか上唇を噛み破っていた。その滴る血を吹きつけるように叫んだ。
「ホホホ。そうよ。アナタはプロの闘士よ。あたしはブルジョアの闘士……人間を棄ててしまった女優上りですからね。嘘言《うそ》も不人情もお互い様よ。それでいいじゃないの」
「チ……畜生……覚えておれッ」
「忘れませんわ……今夜のこと……ホホ。貴方も一生涯、忘れないで頂戴ね。楽しみが出来ていいわ」
「……殺してくれる……」
「どうぞ……貴方みたいな可愛いお人形さんに殺されるのは本望よ。妾はサンザしたい放題のことをして来た虚無主義のブルジョア……惜しい浮世じゃ御座んせんからね。チャントお待ちしておりますわ、ホホホホホ……では左様なら……ホホホホホホ……」
誇らかに笑いながら彼女は、見返りもせずに静々と廊下に出て行った。向うの隅に固まって煙草を吸っている刑事連に嫣然《えんぜん》と一礼した。
「ありがとう御座いました。お手数かけました。アノ……どうぞお連れなすって……ホホホホホホ」
底本:「少女地獄」角川文庫、角川書店
1976(昭和51)年11月30日初版発行
2000(平成12)年12月30日41版発行
入力:うてな
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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